栄福の時代を目指して(3) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
西洋文明の弱体化と覇権国の衰退
「文明の衝突」に起因している戦争と、上述したポピュリズム席捲は実は密接に関連している。世界史的な文明論的構図からすると、『西洋の没落』(1918年)で衝撃を与えたオスヴァルト・シュペングラーやアーノルド・トインビーといった文明論者が喝破したがごとく、西洋文明は両次の世界大戦が表しているように、20世紀から衰退の局面に入っている。それでも20世紀後半にはアメリカが中心国となって西洋文明を科学的に前進させたものの、21世紀に入ってアメリカをはじめ西洋の中心的国家の衰退が加速し、それによってポピュリズムが各国で席捲するに至ったのである。
こうして衰えつつある西洋文明が築いた世界秩序に対して、ロシア文明やイスラーム文明の諸勢力が各地で挑戦し、動乱を巻き起こしている。アメリカや西洋諸国が万全の態勢にあれば、各地の戦乱は未然に防ぐか、早々に鎮圧することができる。現に、イスラーム過激派がアメリカ中枢を攻撃した「9・11」(米国同時多発テロ事件)の後には、アメリカはアフガニスタンやイラクを攻撃して、タリバン政権やフセイン政権を転覆し、民主主義国家を軍事的に実現しようとした。ところが、タリバン政権は復活し、イラクからアメリカは撤退せざるを得なくなり、IS(イスラーム国)が一時的に強力になり、各地でハマスやヒズボラといった過激派が活動を強化した。それが、苛(いら)立つイスラエルの周辺諸国攻撃をはじめ、中東の紛争状況を生み出し、他方でロシアの侵略を可能にした。
私は9・11後の「反テロ」世界戦争に抗して、シンポジウムを開催していくつかの書籍(『非戦の哲学』ちくま新書、公共哲学ネットワーク編『地球的平和の公共哲学』東京大学出版会、『戦争批判の公共哲学』勁草書房=刊行は全て2003年=など)を執筆したが、当時の懸念通りに「文明の衝突」が激化してしまった。今、改めて読み直してくれている人が現れているが、当時の言説をも今後の指針に生かしてほしいと思っている。
世界史的に見れば、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスといった各時期の覇権国の衰退過程では、大英帝国に対する新興国家・ドイツの挑戦による両次の世界大戦のように、戦争が巻き起こった。従って、上記の世界的戦乱の嵐は、戦後の覇権国・アメリカの衰退に伴うものであり、さらには西洋文明の没落の結果と言わざるを得ないのである。
啓蒙主義と西洋中心主義の破綻
この大きな歴史的展開を思想的に捉えてみよう。19世紀以降、中世の暗黒時代が終わって西洋で理性や科学の時代が始まり、世界に資本主義と民主主義が発展して、人々が幸せになっているという薔薇(ばら)色の未来を描いたのが啓蒙(けいもう)主義である。戦後には、アメリカが中心となって、科学がますます進展して、市場経済と民主主義を発展させ、世界中に波及させていくという政治学の見方が広がった。比較政治学では政治発展学派という。
上述のような動向は、この啓蒙主義や政治発展学派の想定が破綻したことを改めて示している。ここに欠けているのは、文化の次元であり、科学的進展の裏で進む精神性・倫理性の衰退という深刻な事態だった。大きく言えば、この結果、西洋中心国においてリベラリズムや西洋民主主義が危機や失敗に陥り、他文明との間で衝突が激化して国際秩序が動揺し、戦乱の渦が巻き起こってしまったのである。
この問題は地球環境や世界の貧困や格差という問題にも現れている。前者は、近年の異常気象として顕在化しており、科学文明が環境を悪化させてエコロジー的危機を招いている。後者は市場経済の問題であり、資本主義経済の帰結が、アメリカも含めて内外の経済的格差や貧困問題として現れており、西洋諸国の経済的停滞と関連している。