大聖堂で「降誕会」 全ての現象を仏の説法と受けとめ精進を 庭野会長が法話
釈尊の誕生を祝すとともに、仏教徒として教えに出遇(であ)えた悦(よろこ)びといのちの尊さをかみしめ、さらなる精進を誓う立正佼成会の「降誕会」が4月8日、大聖堂(東京・杉並区)で挙行された。全国から会員約630人が新型コロナウイルスの感染防止策を施して参集したほか、式典の模様がインターネットでライブ配信(会員限定)された。
「降誕会」は、釈尊の入滅を偲(しの)ぶ「涅槃会(ねはんえ)」、釈尊が悟りを開いた意義を心に刻む「成道会」と並ぶ仏教三大法会。約2500年前にルンビニーの園で釈尊が生まれた際、天の八大龍王が産湯の代わりに甘露の雨を降らして讃歎(さんだん)供養した故事に倣い、季節の花で飾った花御堂(はなみどう)に安置した誕生仏に、甘露の雨に見立てた甘茶を灌(そそ)いで供養することから「灌仏会(かんぶつえ)」「花まつり」とも呼ばれている。
当日、聖壇上に設けられた花御堂の誕生仏に甘茶をかけた後、法話に立った庭野日鑛会長は冒頭、天明茂氏の著作にある言葉を披露。「朝」という字は“十月十日(とつきとおか)”とも読め、人間は母親の胎内にいるこの期間を経て誕生することから、「私たちも毎朝、自分が誕生したという新鮮な気持ちでお互いにあいさつすることがとても大事」と述べた。
また、釈尊が誕生時に七歩歩き、「天上天下(てんじょうてんげ) 唯我独尊(ゆいがどくそん) 三界皆苦(さんがいかいく) 吾当安此(ごとうあんし)」と誕生偈(たんじょうげ)を唱えた説話を紹介した。七歩には、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上という迷いの六道を超えるという意味があり、誕生偈を通して、「生かされて生きている自らのいのちの尊さに目覚めてこそ、他の全てのいのちの尊さに気づくことができる」と教えられていると説明。法縁に触れたことを一人ひとりが有り難く受け取り、多くの人に伝えていくことが大切と説いた。
さらに、道元禅師の「峰の色 渓(たに)のひびきも 皆ながら わが釈迦牟尼仏の 声とすがたと」という歌を引用した。大乗仏教では、目に見えない釈尊の悟りを法身として信仰し、森羅万象の全てが仏の現れであり、仏の説法として受け取っていくことが重要と強調。教えが多くの人に広まることで、戦争などのない安らかな調和の世界になると語り、「降誕会にあたって、そうしたことをしっかりと心に収めながら、お互いに精進してまいりたい」と述べた。
式典は、パイプオルガンの演奏で開幕した。降誕会の意義を解説する映像作品の上映に続き、読経供養を厳修。導師をつとめた庭野光祥次代会長が庭野会長の「啓白文」を奏上し、灌仏した。次いで、舞鶴教会青年婦人部長(52)が体験説法に立った。
この中で青年婦人部長は、若い頃、病弱で入退院を繰り返す母親と過ごす時間が少なく、寂しさから母親を責める気持ちを抱いていたと述懐。20歳の時に参加した成人の集いでサンガ(教えの仲間)から、母親のおかげで家族が離散することなく生活してこられたこと、今後は自身が徳を積むことが大切だと諭されて心が変化し、自ら前向きに信仰の道を歩むようになったと語った。
さらに、青年婦人部が毎年行っている水子供養に言及。準備や手どりが思うように進まず、周りの人を責めて卑屈になっていたが、今回の体験説法の役を通して自身の心を見つめる中、全てを一人で背負い込んで心を閉ざしていた身勝手な思いに気づいたと述べ、改めて多くのサンガの支えに感謝を表した。その上で、来年の教会発足50周年に向け、一人でも多くの人と法悦を分かち合いたいと、さらなる修行精進を誓った。
この日、大聖堂3階正面階段前には、白象の山車と共に花御堂が設置された。式典の前後には、参拝者が列をなし、誕生仏に甘茶を灌ぎながら、法縁に触れた感謝の思いや釈尊降誕の意義をかみしめた。