第38回庭野平和賞贈呈式 昭慧法師記念講演(要旨)
6月2日にオンラインで開催された「第38回庭野平和賞」贈呈式の席上、受賞者の昭慧(チャオフェイ)法師が記念講演に立った。要旨を紹介する。(文責在編集部)
人々の苦を除き世界平和に尽くす そのすべてが、「心の精進」となる 昭慧法師
信仰者にとって自分の宗教こそが最高の教えであると考えるのは自然なことであり、それが諸宗教対話を容易ならざるものにしてきました。信仰者による宗教や宗派の枠を超えた活動を可能にするには、宗教指導者や専門家たちが理性的に自己の宗教の理論的根拠に立ち戻り、わが身を省みることが必要です。そうすることで、あらゆる宗教の教理を包摂する多元的なシステムの構築が可能になります。
さらに、それぞれの宗教の枠を超えようと望む心理的基盤を形成するには、私たち宗教者が交流や協力を重ねて友情を育み、大きな目標に向けて共に活動することが大切です。
しかし、宗教・宗派、性別、社会的地位、人種、国籍、さらには種の違いを超えて「すべては自分の家族」と受けとめられる想像力や寛容性が欠如していると、感情をあおるセンセーショナルな言葉に触れた時、人間の理性と良心はその言葉の強大な力に屈し、麻痺(まひ)するかもしれません。もし宗教指導者が信者を正道から逸脱させてしまうことになれば、宗教は世界平和への障害と化すのです。
テロリストの中には、聖典の言葉を前後の文脈を無視して引用し、自分の行為を正当化している人たちがいます。彼らの残虐行為によって、これまでに多くの血や涙が流されてきました。
また、聖典を誤用し、女性は男性よりも劣った存在だという主張を正当化する人たちがいます。女性への差別と抑圧は、不幸にも人間の倫理体系の発展を妨げる結果をもたらしています。こうした偏狭なものの見方は社会全体の発展を妨げるもので、平等や正義という社会の価値観に反しています。
宗教界には聖典を悪用し、同性愛者への差別を正当化している集団もあります。同性愛者に「治療」を強制するなど冷酷な手段で精神的苦痛を与える人たちや、民主主義を悪用して「言論の自由」を標榜(ひょうぼう)し、言葉の暴力を続ける人たちがいます。彼らの敵意の矛先は、その他の性的少数者にも向けられているのです。
不当な動物の使役や家畜の解体を行ったり、動物を贈答品、賞品、実験台として扱ったりすることで、暗に人間の優位を主張する人たちも存在します。こうした考え方は、無数の動物たちに苦しみを与えています。
宗教・宗派、性別、社会的地位、人種、国籍、そして種の違いを超越したものの見方や考え方は、世界平和の重要な礎です。16年前に遷化したわが師、印順導師が説いた「人間(じんかん)仏教」の哲理は、宗教や宗派の壁を超え、仏さまの本願に通じるものです。印順導師は、仏道修行者が禅定で得た智慧(ちえ)を用いて、人に優しく、勇敢に、常に先を見ながら菩薩の心で前に向かって歩みを進めていくことを望んでいました。菩薩の心があれば、私たちは社会に向けて関心を広げ、苦しんでいる人に手を差し伸べることができます。師の教えは、私に伝統的な仏教の枠を超えて考える力を与え、あらゆる生命を敬い、守り抜く行動へと導いてくれたのです。
あらゆる人々の苦を除くために力を尽くし、人々の心が優しくなることを願い、社会の向上と世界平和に向けて努力を重ねる――これらすべてが「心の精進」となります。『金剛経』には、「以無我、無人、無衆生、無壽者修一切善法、即得阿耨多羅三藐三菩提」という一節があります。これは、「自我意識を超え、良い行為をした時も相手からの見返りや他人からの賞賛を求めたり、来世に果報を期待したりせず、純粋無垢な心で行った善行はすべて無上の悟りに至る修行である」という意味です。「善法」とは、心魂の浄化と超越から生まれる行いを指します。
こうした広大無辺な心を具(そな)えていれば、宗教の違いを超えて、あらゆる善に共通する源泉を正しく認識することができ、多様な宗教を尊重できるようになります。諸宗教に敬意を払う行為は単なる礼儀ではなく、真の理解と善意の表明なのです。