第38回庭野平和賞贈呈式 庭野日鑛名誉会長挨拶(要旨)

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6月2日にオンラインで開催された「第38回庭野平和賞」贈呈式の席上、庭野平和財団の庭野日鑛名誉会長が挨拶に立った。要旨を紹介する。(文責在編集部)

いのちへの限りない慈悲の心 現実の問題に手を差し伸べて 庭野名誉会長

昭慧(チャオフェイ)法師は、「一切衆生の救済」という仏教の根本精神に基づき、動物や自然を含めたあらゆる生命の保護をはじめ、死刑廃止、賭博の禁止などの社会運動を展開してこられました。また、男女の違いによる差別や不利益をなくす活動、LGBT(性的少数者)の権利擁護などに積極的に取り組んでおられます。

「一切衆生」とは、「この世に生きているすべてのもの」「生きとし生けるもの」という意味です。人間だけでなく、動物も、植物も、さらには無生物といわれるものさえも、それぞれを絶対の存在として、等しく尊ぶのが仏教の世界であります。そして、一切の生きとし生けるものが、幸福であれ、安泰であれ、安楽であれと願われるのが、仏の大慈悲心にほかなりません。

もっと身近な言葉で表現するならば、「自分の周囲に一人でも不幸な人がいる限り、自分の幸福を手放しで喜んではいられない」ということでありましょう。昭慧法師は、すべてのいのちへの限りない慈悲の心で胸をいっぱいにし、現実の問題に手を差し伸べておられるに違いありません。

仏教の根本をなす教えの一つに「縁起」の法があります。「この世の一切の現象は、さまざまな原因や条件が関係し合って成立している」ということです。固定観念を捨てて世の中を見ますと、地球上のすべてのものごとが常に関連し合い、依存し合って、一つにつながっていることが分かってきます。人間一人ひとりも、両親や祖先はもちろん、無数の人々や物、あるいは大自然の恩恵によって、いま、ここに、生かされているのです。

そうしたありのままの相(すがた)を深く見つめますと、単なる「個人のいのち」という捉え方を超えて、すべてが「大いなる一つのいのち」であることを感じ取ることができます。

それは、自他一体、自他一如ということであり、すべてが兄弟姉妹であるという自覚です。だからこそ、すべてのいのちは等しく尊いのであり、他者の喜びは、わが喜び、他者の悲しみは、わが悲しみとなるのです。その一体感から生じる人間としてのごく自然な心情が、慈悲にほかなりません。

仏教は「智慧と慈悲」の宗教であるといわれます。「智慧即慈悲」「慈悲即智慧」ともいわれます。慈悲の心で相手に寄り添うと同時に智慧に基づいて苦しみの根本原因を見いだし、それぞれの状況に合った適切な行動をとっていくことが最も大切な姿勢と申せましょう。

こうしたことは、頭では理解していても、なかなか行動が伴わないものです。しかし、昭慧法師は、どんなに困難な課題であっても臆することなく声を上げ、自らが先頭に立って改善に取り組んでおられます。仏教の慈悲と智慧を自ら体現されている昭慧法師に、心より敬意を表します。