庭野光祥次代会長に聞く――『宗教協力が育む力』(3)

昨年3月、大阪カテドラル聖マリア大聖堂で行われたWCRP/RfP日本委の「平和大学講座」で講演した光祥次代会長

「対話」の重要性を実感

――意見の違いが対立にならないようにするには何が必要ですか

WCRP(世界宗教者平和会議=WCRP/RfP)の特性になりますが、それには「対話」の重要性を強く感じます。

「対話」とは、意見を交わして相互理解を図っていくことが目的です。ですから、ある事柄に対して意見の違いがあり、仮に同意が得られないとしても、意見が違うことをそのまま認め、相手を言い負かしたり、排除したりしません。英語では「agree to disagree」と言い、「意見が違う、ということに同意する」「同意できない、ということに同意する」という姿勢を大切にするわけです。もちろん、対話によって違いを超えられること、変化することもあります。けれど、それは必ずしも合意を形成することが目的ではありません。あることに対して全員が同意できなくても、協力できるところで共に働くということは可能です。

例えば近年はLGBT(性的少数者)への理解が進んでいますが、宗教や宗教者によって理解のスピードや認識の度合いに違いがあるのは事実です。だからといって、考え方が一致しないから、「もう宗教協力はできない」とか「けんか別れになる」ということにはなりません。意見がそれぞれ違う私たちであることを互いに認め、そして一緒に取り組めるところから協力していくのです。

見方を変えれば、皆が「説き伏せられない権利」を持っており、自分が大切にしていることを大切にしたまま参加できるというのが私たちの「対話」の理想とも言えます。

宗教や宗教団体には、ともすれば、多くの人をひと色に染めようとする傾向があります。だからこそ、諸宗教が協力するというのは難しいことだと思われてきました。でも、WCRPの創設者たちをはじめ多くの先達は、今申し上げたような「対話」の姿勢を大切にしてきました。そのおかげで諸宗教協力が可能になり、WCRPの組織もここまで拡大し、その平和への取り組みは国連でも注目されるほどに発展できたのだと思います。

現在の世界では、宗教に限らず、あらゆる分野で「対話」が重視され、それなしには永続的な発展は望めないと考えられています。

――本会は諸宗教対話・協力に取り組んできましたが、そのことによって受けている恩恵とはどんなことでしょうか

この平和活動は、開祖さまが尽力し、そして会員の皆さまのご理解、ご協力があって今日まで進められてきました。そういう意味では、私たちは開祖さまのおかげで諸宗教対話・協力という活動と出合い、全ての会員が世界平和の実現のためにこの取り組みにつながっている、参加していると言えます。いわば、佼成会の一人ひとりがそれぞれの場で生活しながら、そのままで、すぐには想像できないほど大きなスケールの布施行をさせて頂けているということです。

私たちのささやかな行動が、ある時はウガンダの子供たちのために生かされ、またある時はグアテマラの女性に届き、ミャンマーの平和のために役立っている。もしかしたら、一生会うことができない人々のために貢献できている。すごいことだと思いませんか? まさに地球規模で布施行ができることそのものが、最大の恩恵、功徳だと思います。

WCRP/RfPの第10回世界大会の期間中、大聖堂や全国各教会で祈願供養が行われた

昨年8月にドイツ・リンダウで行われたWCRP/RfPの第10回世界大会の期間中、大聖堂や全国の教会で会員の皆さまが祈願供養をしてくださいました。「自分事(じぶんごと)」として関心を寄せ、世界の問題の解決に向けて大会の成功を念じてくださったお一人お一人の祈願が、大会に大きな実りをもたらしました。これは本当です。人のために念じられる心。これこそが功徳だと私は信じています。

ある方に勧められて、『他者の苦しみへの責任』(みすず書房)という本を読みました。人の苦しみのために、どれほど多くの人が懸命に働いているかが分かります。私も諸宗教対話・協力の現場で、「他者の苦しみへの責任」のために働く人に出会い、力をもらいます。

ここでいう「他者」とは、自分とは国も宗教も異なり、話す言葉も違う、これから出会うこともないかもしれない人々のことです。そのような人たちの苦しみにもわが事のように心を寄せ、私に何ができるかと問い、「自分事」として責任を持って行動していく――そんな生き方ができるとしたら、本当に素晴らしい人生だと思うのです。

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