創立80周年記念式典祝辞 第二百五十七世天台座主・森川宏映師
本日は立正佼成会さまにおかれましては、昭和13年3月5日に立教されてから80年という記念すべき日を迎えられましたことを、心からお祝い申し上げます。
庭野日敬開祖さまは、お父さまから、「なるべく暇がなくて、給料の安い、骨の折れる所へ奉公するように」と実直な教えを受けておられました。16歳の夏に上京し、その後、漬物店、牛乳店などを営む一方、恩師である新井助信師や長沼政(妙佼)さまとの出会いを経て開教されておりますが、31歳の時だそうでございます。
ところで、昭和の初頭に、多くの在家仏教が開教されておりますが、これは神道国家主義を出した明治政府の方針による、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」によるものと考えております。
延暦寺もその被害を受けて、仏的な物をかなり無くしておりますし、中心のお堂である根本中堂も、雨の日など傘を持たなければ入れないほど荒廃しておったようでございます。さらに、土地につきましては、明治4年に、土地の全部を政府に没収されたのでございます。その面積は、1700ヘクタールに及びますが、その中で1200ヘクタールにつきましては、他の寺院と共に行政訴訟を起こし、明治42年12月22日に寺に返ってまいりました。延暦寺ではこの日を「山林還付の日」として、毎年、報恩感謝と、関係された方々のご冥福を祈る法要を営んでおります。一方、苦労して取り戻した山林をどうするか、そのための方針を決めた「施業案」を作りまして、毎年木を植え、今では見事な山になっておりますが、これを保護し、維持しなければなりません。そのためには、専門の知識を身につけた者がいなければと思い、私が農学部の林学を専攻した次第でございます。お堂の尊厳を醸し出す境内林が返されたのが昭和25年のことでした。
かくして廃仏毀釈の嵐は終わりましたが、その間、払われた各寺院の勢力、努力は莫大(ばくだい)なものであり、本来行うべき宗教活動の多くが出来なくなりましたことは、残念と言わざるを得ません。この間にも、世間では人々の日々の生活が続けられます。苦しみや悩み、争い事等、色々の問題が起こりますが、その一つ一つについて親切に相談に乗り、解決の道を示し、信者を増やされたのが、在家仏教の始まりであると私は考えております。
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