本会施設で被爆体験伝承講話 広島での被爆証言を受け継ぎ、戦争のない世界訴え

講話に立った、HRCP理事で被爆体験伝承者の細光氏

「被爆体験伝承講話(広島原爆)」が2月14日、東京・杉並区にある立正佼成会の第二団参会館で行われた。同講話は、翌15日に大聖堂で開催の「涅槃会(ねはんえ)」に参加する本会会員に向けた「前泊プログラム」の一環として企画された。当日は、会員約60人を前に、被爆体験伝承者でNPO法人「ヒロシマ宗教協力平和センター」(HRCP)理事の細光規江氏(54)が講話に立った。

細光氏は、HRCPで広島平和記念資料館や平和記念公園の案内ボランティアなどを務めるとともに、広島市の被爆体験伝承者を養成する講座を受講。約3年を掛けて二人の被爆者から体験の記憶と心情を受け継いだ後、同資料館を運営する公益財団法人「広島平和文化センター」の委嘱を受けて、2015年から資料館や学校で伝承活動を行っている。

当日、細光氏は、原爆が投下される直前の、第二次世界大戦末期の広島市に触れ、食糧難の中で、民家を取り壊して防火地帯をつくる建物疎開作業へ動員される当時の人々の生活状況を説明。その上で、同氏に被爆証言を託した二人のうちの一人、笠岡貞江さん(85)の体験を詳述した。

1945年8月6日、広島市の中心部にあたる相生橋付近の上空で一発の原子爆弾が炸裂(さくれつ)した当時、12歳だった笠岡さん。爆心地から3.5キロ離れた自宅で祖母と共に被爆した。しかし、その2日後に両親が亡くなり、悲しみに打ちひしがれ、やがて自らも放射能の影響による貧血や皮膚病といった原爆後遺症を患い、長年苦しみ続けた。細光氏は笠岡さんの身に起きたことを情感を込め、時折、涙ぐみながら自らの体験のように語った。

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