山田惠諦第二百五十三世天台座主の「二十五回忌偲ぶ会」が京都で 260人が参列し、光祥次代会長がスピーチ

登壇した光祥次代会長は、山田座主、趙樸初師、庭野開祖のエピソードを紹介した

この後、松緑神道大和山の田澤清喜教主、光祥次代会長、女優の山本富士子氏がスピーチに立った。田澤教主は、山田座主と田澤康三郎初代教主との出会いにより、84年に延暦寺根本中堂の「不滅の法灯」の分灯を授かり、教団で「永遠の燈火」として灯(とも)し続けていることを紹介。翌85年から毎年、「不滅の法灯」を灯す菜種油一年分(540リットル)と、回峰行者が使用する蓮華笠(れんげがさ)、草鞋(わらじ)を延暦寺に奉納していると話した。

一方、光祥次代会長は、75年2月12日に庭野日敬開祖が延暦寺の山田座主を訪ねて以来、平和への願いを共にして20年に及び強い絆で結ばれていたとして思い出やエピソードを詳述。同サミット開催後の87年8月に、長野・穂高町(現・安曇野市)にある本会の山荘に、山田座主と中国佛教協会の趙樸初会長、庭野開祖が滞在し、サクラ、コブシ、ナナカマドをそれぞれ植樹したことに触れ、「今も季節ごとに美しい花を咲かせています」と語った。

謝辞を述べる山田能裕師

また、遷化された94年10月に佼成出版社から山田座主の追悼法話集『己を忘れて 他を利する』が発刊され、庭野開祖が「仏心とは慈悲心、慈悲心の人とは、どんな人に対しても『この人に幸せになってもらいたい』と願い、現に、身も心も人びとのために捧げることができる人だと申します。猊下は、まさにそういう方でした」とし、「山田惠諦猊下の励ましがなかったら、ここまで初心を貫き通せたかどうか、私は、今しみじみと思わずにはいられません」と言葉を寄せていることを紹介。山田座主への感謝と、先達の意志を受け継いで平和への道を歩む決意を述べた。

最後に、延暦寺長臈で瑞応院住職の山田能裕師が謝辞を述べた。