『ホンジュラスで輝く人々』をテーマに AMDA-MINDSの山田氏と定住旅行家のERIKO氏がトーク

それぞれの国に生きる知恵がある 優劣をつけずに学ぶ

司会 ホンジュラスをはじめ各国を訪れた経験や現地の人々との出会いから、人生の学びになったことはありますか?

AMDA-MINDSの山田さん(左)とERIKOさん

ERIKO どこを訪れても、それぞれの国で生活の知恵、生きる知恵を学びます。中南米、中でもホンジュラスの人のものの見方、考え方で印象に残っているのは、「諦める力」ですね。例えば、個人の力では、すぐにどうしようもないこと――自然災害や政治、治安の問題といった、個人であがいてもすぐに解決できないことに対して、良い意味で、諦めがいいというのが私の印象です。

「諦める」とは元々、「明らかにする」という言葉から来ています。物事を明らかにした上で納得する――その判断を自分で下すことが、とてもよくできる人たちだと感じました。日本人は、諦めないのが美徳になっていて、取り組み始めたら最後までやり遂げるというのは素晴らしい精神だと思います。一方で、例えば、災害の対策にもとても力を注ぎますが、それがうまくいかなかった時に、人のせいにしてしまうことがあるとも感じています。

私たち日本人がしがみついているものに対して、ホンジュラスの人はうまい具合に手を放して、違うチャンスをその開いた手でつかむことができると、お会いした人から感じました。

山田 日本人は真面目ですから、割とストレスを抱えている人が多いですよね。私がホンジュラスで付き合う方は、仕事上の関係者ですが、ストレスなく、気持ちはハッピーに生きている方が多いなと感じます。

それはなぜだろうと考えたら、ホンジュラス人を含め一般的にラテンの人は、あまり反省をしないんですね。でも、これをよくよく考えてみると、例えば仕事で何か悪いことがあったとして、反省したからといって、次につながる場合もあれば、そうでない場合もありますね。「これは私のせいでした」とくよくよしても意味がないから、考えても仕方がないことは考えないと。その点はさっぱりしています。何か悪いことが起きたとしても、それは仕方のないことだとして、どんどん前に進んでいく姿から、私も学ぶことができました。精神衛生上、とても良いことだと感じています。

司会 多くの日本人にとって、中米はあまりなじみが深い国ではありませんが、一方で、ホンジュラスでの日本や日本人の印象はどのようなものですか?

山田 日本と中国を混同している人は多いですね。一方、自動車のほか、アニメはよく知られています。私よりもはるかに詳しい人もいて、非常に親しみを持ってくれています。

ERIKO いろいろな国に行って、アジアとして中国とも一緒に見られることは結構あります。その中で、私が出会ったホンジュラスの人は親日家でした。そこで、私の方が教えてもらい初めて知ったこともあります。

ホンジュラスは1998年に、「ミッチ」という大型のハリケーンによって大変な被害を受けました。この時、国際緊急援助法に基づく自衛隊の海外派遣が初めて実施されたのですが、その活動地がホンジュラスなんですね。がれきの撤去、傷ついた人の救助や手当てに当たったそうですが、このことをホンジュラスの人は今も覚えていて、私は出会う人から何回も「グラシアス(ありがとう)」と声を掛けられました。

司会 ハリケーン「ミッチ」のことが出ましたが、AMDA-MINDSがホンジュラスで活動するようになったのも、その被害に対する緊急救援がきっかけで、今年で20年になります。

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