TKWO――音楽とともにある人生♪ オーボエ・宮村和宏さん Vol.2
目標への段階的な歩み
――プロとして19年、ご自身にどんな変化がありましたか
20代の頃は、現代音楽や技巧的な奏法を求められるものなど、あまりポピュラーではない作品を主に演奏していました。デビューしたての頃というのは、自分よりうまい方がたくさんいるんだから、J・S・バッハやモーツァルトといった王道作品を演奏しても、お客さんの求めは少ない。目を引きそうな新しいことを含め、さまざまなものにチャレンジして、自信を持てるようになったら、王道作品を披露しようと思っていました。
ようやく32歳の時に、オーボエ奏者の王道作品ばかりを集めたリサイタルを開催しました。お客さんの反響が良く、それから、王道作品を突き詰めるようになり、今は、あらゆるジャンルを演奏しています。
こうした発想に至ったのは、20歳くらいの頃、自分の最終形として「良い芸術家」にたどり着きたいと思い、それを段階的に目指そうと考えたからです。そこで最終的に「良い芸術家」になるためには、最初に「良い演奏者」になって、次の段階として「良い音楽家」になることが大切ではないかと思っています。
「良い演奏者」とは、聴いている人も自分も何ら不安を感じない状態にまで演奏技術が身についた人のことです。「良い音楽家」とは、音楽そのものに対して、どこまでも誠実である人だと考えています。音楽家は、音楽に誠実でなければならず、それはいわば義務です。
なぜあえて「義務」とするかというと、私らの仕事は、どんな結果であろうと、つまりどんなひどい演奏であっても、誰かが亡くなるわけでも、身体的に傷つくわけでもないからです。例えば、タクシーの運転手の方は、注意を怠れば交通事故でお客さんを危険にさらすかもしれません。料理人も、食中毒でお客さんに被害を与えるかもしれない。そうならないために、そうした方たちは自然と自分に厳しい注意を向けると思うんです。ですが、私たちの演奏を聴いて、人が何か危険な目に遭うわけではありませんから、自分を甘やかそうと思えば、どこまでも無責任になれるのです。だからこそ、自分で責任を持つことに必死でなければならないと考えています。
私の現状ですが、「良い演奏者」から「良い音楽家」に脱皮している最中だったらいいなと思っています。そもそも先ほどの定義の「良い演奏家」にも、まだなれていないですが……。
「良い芸術家」の定義として、「良い人間」であることが欠かせないと考えていますが、完成された人間とはどういうことなのかが、今の自分には分かっておらず、これと一緒で、「良い芸術家」とは何かがまだ分かっていないので、「良い音楽家」から「良い芸術家」への道のりはまだ、まだまだかな、というのが今の思いです。
プロフィル
みやむら・かずひろ 1979年、兵庫・神戸市生まれ。2001年に東京藝術大学を卒業し、TKWOに入団。第3回高校生国際芸術コンクール、第69回日本音楽コンクールのオーボエ部門でともに1位を受賞した。アルバム「プロミネンス」(佼成出版社)、「マジック・オーボエ」(日本アコースティックレコーズ)をリリース。国内外のオーケストラの公演に客演首席奏者として参加し、昭和音楽大学、洗足学園音楽大学では非常勤講師を務める。ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングスによる楽器擬人化プロジェクト「MusiClavies」において、登場人物・ルルのオーボエ・ダモーレの演奏を担当している。