TKWO――音楽とともにある人生♪ ホルン・堀 風翔さん Vol.1
忘れられない師匠との出会い
――器用だったのですね。プロの道を志すようになったのはいつ頃からですか?
高校2年の後半くらいからだったかと思います。高校に進級しても吹奏楽部に入りましたが、ちょうどその頃、ある先生が年に数回、うちの中学と高校両方の部員の金管楽器奏者を対象に、金管分奏の練習指導に来てくださっていたのです。その先生とは、東京金管五重奏団の元ホルン奏者で、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の元首席ホルン奏者の須山芳博さんで、奏者を若くして引退した後、武蔵野音楽大学で指導にあたっていました。須山先生は、僕たちの吹奏楽部顧問の大学時代の先輩で、それが縁で僕たちにも指導してくれていたのです。
須山先生の指導は、とてもユニークでした。楽器の奏法を実際に吹いて見せるよりも、まずは言葉で理論的に教えることを優先しました。また、生徒の前で模範として吹く際も、旋律はあまり吹かず、例えば「ド」を高い音階、真ん中の音階、低い音階という順番で、しかもその単音を「フゥーッ」とロングトーンで長めに吹いて聴かせてくれました。その時の音が、それまで聴いたこともないような素晴らしい音色で、僕は一気に引き込まれてしまったのです。
先生の吹くホルンの音色によって、たった一音で人を感動させられるホルンの素晴らしさに改めて気づきました。それとともに、音色が自在で、音域が広いホルンはさまざまな曲を演奏でき、その楽しさを須山先生から学んだこともあり、将来は、表現できる幅が広いホルンの魅力を最大限に引き出せるプロの奏者になろうと、はっきりと心に決めたのです。
そこで、須山先生に音楽大学への進学のための個人レッスンをお願いしました。約1年間の指導と猛勉強を続けるうちに、須山先生に師事したいという思いが日に日に強くなり、武蔵野音楽大学一本に絞って受験し、合格することができました。入学後も須山先生に教わり、日々、ホルンの奏法の研さんを積みました。僕にとって、今でも須山先生はホルンの道を究める上で大切な師匠であり、あの「一音」は、これから僕が一生かけて目指すべき音色だと思っています。
プロフィル
ほり・ふうか 1988年、福岡・北九州市に生まれる。2006年に武蔵野音楽大学音楽学部器楽学科を卒業後、10年、第1回日本ホルンコンクールで第5位入賞。ホルンを須山芳博、丸山勉、室内楽をK.ベルケシュ各氏に師事するとともに、シュテファン・ドール、ブルーノ・シュナイダー両氏のマスタークラスを受講。14年1月より東京佼成ウインドオーケストラに正式に入団した。