TKWO――音楽とともにある人生♪ パーカッション・渡辺壮さん Vol.2
プロのオーケストラでの初仕事
――演奏家として食べていけると手応えを感じたのはいつ頃ですか?
そう思えたことは一度もなかったですね。佼成ウインドの団員になるまでは、なんとか演奏の仕事で食いつないできたというのが正直なところです。
フリーランスも含めて、プロになれるのはごく一部の人だけ。そうした厳しい現実を、音楽大学に進学してから目の当たりにしました。大学の1期上の打楽器奏者に、東京フィルハーモニー管弦楽団の木村達志さん、NHK交響楽団の石川達也さんがいて、先輩二人は大学在学中にはすでに、さまざまなオーケストラにエキストラとして呼ばれて、現場でバリバリ仕事をしていました。しかし同時に、そうやって演奏家になるための階段を駆け上がっていく人はごくわずかなのも、周りの状況を見て少しずつ分かってきました。先輩たちの活躍を見て、〈活躍できるのは特別な才能を持った人たちであり、私には関係のないこと。そんなチャンスは一生訪れない〉と思っていましたね。
――初めて音楽の仕事をしたのは?
大学4年生の時、私の師匠がエキストラとして呼ばれていた演奏会に出演できなくなってしまったことがありました。まだ携帯電話なんてない時代の話です。ある日、私が昼間に家にいると、師匠から電話がかかってきて、「おまえ、代わりに演奏できるか?」と言われたのです。当時、私はプロのオーケストラと仕事をしたことがなかったので、興奮気味に、「絶対に行きます」と応えました。すると先生から、「おまえが今、電話に出なかったら、違うやつに(電話を)かけていたよ」と笑っていました。私がこの電話に出なかったら、仕事は受けられなかったわけです。本当に幸運でした。
しかし、実際に仕事をしてみると、練習でも本番のステージでも、思い描いたような演奏はできませんでした。同じ打楽器奏者の先輩から、事細かにアドバイスを頂いたのですが、現場での経験が全くないことや緊張、それに加えて実力不足で、自分の演奏がうまくいっていないと分かっていても、その場で対応することができないのです。全く歯が立たなくて、〈ああ、これが私の最初で最後の、プロオーケストラでの仕事だ〉と、落ち込む日々。ところが、1週間ほどの仕事の最終日、帰り際に打楽器のエキストラを呼ぶ担当の方にあいさつをすると、「またよろしくね」と言ってもらえたんです。
演奏内容は全く満足するものではなかったので、自分の実力を認めてもらったという達成感はまったくありませんでしたが、それでも、「またよろしく」の言葉に、もしかしたら先につながるかもしれないという期待を持つことができましたね。たとえ、それが社交辞令だったとしても、頑張ろうと思える一言を頂けたことがうれしかったのです。
――巡ってきたチャンスをつかんだのですね
つかんだなんて、とんでもない。そうではないのは、いくら経験がない私でも分かりました。私と同世代の人がどんどん仕事の幅を広げ、活躍していましたから。それからは、頂いた仕事の一つ一つが、まるで細い蜘蛛(くも)の糸が目の前に垂れてきたかのような感じでしたから、それをつかんで離さないようにしようと全力で取り組みました。そうして、綱渡りのように演奏家として一歩一歩進むことができた結果、なんとか今に至っているのだと思います。
プロフィル
わたなべ・そう 1972年、茨城・日立市に生まれる。武蔵野音楽大学を卒業後、愛知県立芸術大学大学院を経て、ドイツ・ミュンヘンのR・シュトラウス音楽院に進んだ。その後、アウグスブルク市立歌劇場オーケストラで研修生として研鑽(けんさん)を積み、帰国後はフリーの演奏家としてオーケストラを中心に活動。2018年に東京佼成ウインドオーケストラに入団した。