TKWO――音楽とともにある人生♪ テナー・サクソフォン・松井宏幸さん Vol.3

東京佼成ウインドオーケストラのテナー・サクソフォン奏者・松井宏幸さんは、高校3年生の時、埼玉栄高校吹奏楽部の一員として、全日本吹奏楽コンクールの全国大会に出場した。昨年閉館となった普門館のステージで演奏し、金賞を受賞した経験を持つ。最終回では、普門館での思い出、トレードマークであるリーゼントへのこだわり、そして演奏家を目指す学生に向けたメッセージを聞いた。

高校時代は吹奏楽部を率いて普門館のステージに

――松井さんは埼玉栄高校の一員として、全日本吹奏楽コンクール全国大会で金賞を受賞しました。当時のことをよく覚えていますか?

全日本吹奏楽コンクールの全国大会で普門館のステージに立ったのは、高校3年生の一度だけです。最初で最後の全国大会の演奏について、細切れ映像のように記憶が断片的に残っている部分はあっても、その当時の心境までは、正直なところ、思い出として残っていないのです。

というのも、部員は演奏だけをすればいいわけではなく、ステージに椅子を並べたり、譜面台を運んだりといったセッティングをしなければならず、その時間も細かく決まっていて、当日はとても慌ただしく過ぎていきます。当時、私はコンサートマスターとして吹奏楽部を率いる立場だったので、直前まで、指揮台からステージを見て、譜面台の高さから、椅子の角度の調整まで、全てを指示しなければなりませんでした。

当日を迎えるまでも、学校の体育館を普門館のステージに見立て、椅子を並べる練習、入退場の確認などを、ストップウオッチを手に何度も繰り返しました。本番のステージを練習通り進めるためには、30秒経つまでにすること、1分経つまでに終えていることなどを細かく決め、身につけておかなければならず、ステージは「演奏する」というよりも、「遂行する」という意識でいました。それほど特別で、緊張する舞台でした。最後まで気が張っていたので、普門館のステージの雰囲気や胸の高鳴り、演奏する喜びといったものをかみしめる余裕などなく、一気に駆け抜けました。演奏後、係の方に案内されて、普門館の外にある階段で記念撮影をした時、ようやく安堵(あんど)感で気持ちが落ち着いたことはよく覚えています。

――昨年、普門館が閉館する前日に行われた立正佼成会の職員によるセレモニーの後、ステージで松井さんが演奏を披露しましたね

先ほど話したように、高校の時は、ステージの雰囲気を味わう余裕がありませんでしたから、もう一度、落ち着いた気持ちでステージに立ち、できるなら音を出したいと思っていました。でも、私が入団した2017年には、普門館は使用中止になっていて、もう、音は出せないと諦めていました。普門館でのセレモニーの日は、せめてステージの光景を目に焼きつけようと思ってステージに足を運んだのです。

昨年11月19日、立正佼成会職員によるセレモニーで演奏する松井さん

すると、ちょうど教団職員によるセレモニーが終わり、皆さんが歓談されている時でした。楽器ケースを背負った私を見て、演奏してほしいとの声が掛かったのです。もう二度とないチャンスでしたから、快く引き受け、「アメイジング・グレイス」を演奏しました。〈ここが、俺たちが目指していた普門館のステージなんだ〉。そんな思いをかみしめながら、感謝の気持ちを込めて演奏しました。この日は、普門館の“最後の日”でしたが、私にとって初めて、「憧れの普門館」のステージを味わいながら演奏できた日でもあり、感動のひとときでした。忘れられない思い出です。

――松井さんは今、どんな演奏家を目指していますか?

演奏家の仲間やサクソフォンプレイヤーの中で、スターのような存在になりたいという気持ちはありません。でも、何か一つでも、認めてもらえるような、演奏者としてのカラーを身につけることが目下の課題です。

私はプロレスが好きなので、例えるなら、必殺技のようなもので、ジャイアント馬場なら十六文キック、天竜源一郎ならDDTというような、その人を代表する、象徴する何かを得たいと思っています。ちょっと分かりにくい例えですみません。そうした個性を、佼成ウインド、カルテット、ソロ活動といった場面を通じて磨いていき、サクソフォン奏者・松井宏幸ならではの持ち味、らしさ、イメージといったものを確立したいと思っています。

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