TKWO――音楽とともにある人生♪ バリトンサクソフォン・栃尾克樹さん Vol.1
40歳で入団するまで
――本格的に演奏家の道を選んだのはいつですか
高校2年生の時に、ある一枚のレコードに出合いました。それは、20世紀を代表するサクソフォンの巨匠、ダニエル・デファイエ氏が結成したサクソフォンカルテットのものでした。それまで、サクソフォンはジャズのイメージしかなく、僕もその頃は吹奏楽をやりながら、ジャズの曲をよく演奏していたのですが、そのレコードで初めてサクソフォンが演奏するクラシックを聴いて、衝撃を受けたのです。サクソフォンで、「こんな音色を奏でることができるのか!」と。クラシカルなサクソフォンをもっと勉強したいと思い、ヤマハ心斎橋店のサクソフォン売り場に行き、先生を紹介してもらって、音大に進むことにしました。
――40歳でTKWOに入団しますが、それまではどんな活動をしていたのでしょうか
サクソフォン奏者にとって、どこかの楽団に入るというのは、とても狭き門です。卒業後は、大学在学中に結成した「アルモ・サクソフォン・カルテット」の活動を中心に、大学の非常勤講師やアルバイト、演奏のエキストラに出て、食いつないでいました。
20代の頃は本当にお金がなく、近くの中古レコード屋で買ったレコードをかけながら、おなかが減らないように部屋で、ただただじっとしていたこともあります。そうして、40歳の時に佼成ウインドのオーディションがあって、合格し、現在に至っています。
――不安定な生活の中、定職に就こうとは思いませんでしたか
音大に進むと決めた高校生の頃から、音楽以外のことを仕事にするという選択肢はありませんでした。佼成ウインドに入団するまでの間も、苦労したとは感じてませんし、入団が決まって、頑張ってここまで続けてきたという達成感のようなものもありませんでした。“他のことをする”という発想が、そもそもなかったんですね。僕にとって、奏者として生き続けることは、人が息をすることやご飯を食べることと一緒です。その考えは、これからも変わらないでしょうね。
プロフィル
とちお・かつき 1963年、大阪・藤井寺市出身。1982年、大学在学中に「アルモ・サクソフォン・カルテット」を結成し、4年後に第21回民音室内楽コンクール(現東京国際音楽コンクール室内楽)で第1位を受賞。同グループで7枚、ソロでは5枚のCDをリリースした。今秋、6枚目となる「冬の旅」をリリース予定。現在、武蔵野音楽大学、同大学附属高等学校、聖徳大学の講師を務めている。