TKWO――音楽とともにある人生♪ ユーフォニアム・岩黒綾乃さん Vol.2
ユーフォニアムの定席は狭き門
――高校時代が一つの転機だったのですね。音楽の道をその後は順調に?
大学で、ユーフォニアムをさらに深く学びました。しかし、この楽器は演奏人口に対して演奏家としての職が少ないのです。
ユーフォニアムは、その原型となる楽器が改良され、現在の形になったのが20世紀初頭といわれています。金管楽器の中で比較的新しいものです。吹奏楽団や金管バンドには不可欠な存在ですが、まだユーフォニアムが生まれる以前のクラシック楽曲を演奏することが多いオーケストラ(管弦楽団)では、エキストラとして演奏に呼ばれることはあっても、団員として定席を設けている団体は少ないのが実情です。
しかし、厳しいからといって、演奏家の道を諦めるわけにはいきませんでした。自分の将来を切り開くために、大学時代はコンクールでの入賞を目標に、真剣に取り組みました。入賞すれば名が知られ、自分の演奏を聴いてもらうきっかけが一つ増えることになりますから。そうして演奏技術を磨いていき、大学卒業後は、とりあえずフリーランスで演奏活動を続けようと決めました。三浦先生に声を掛けて頂き、エキストラとして佼成ウインドの演奏会に加わったこともありました。
フリーランスとして活動しながら、2004年から3年間、フランスのパリ国立高等音楽院に留学しました。ちょうど帰国の予定が立ち始めた頃、私の恩師であり、佼成ウインドのユーフォニアム奏者だった三浦先生が、楽団を退かれたと知りました。「もしかしたら、近いうちに佼成ウインドのユーフォニアム奏者のオーディションが行われるかも?」。そう直感した私は、帰国前から入団オーディションに向けた準備を始めました。
――行われるかどうかが分からないのに、オーディションに向けて準備を?
そうです。というのも、私にはオーディションでの苦い経験がありました。大学2年生の時に、ある楽団のオーディションを受けて、二次審査で落ちてしまったのです。オーディションは、ピアノ伴奏に合わせた課題曲の演奏と、事前告知された曲の一部をその場で指定されて一人で演奏するオーケストラ・スタディー(オケスタ)の2項目で審査されます。落選したそのオーディションを通じ、私の弱点はオケスタにあると感じていました。
オケスタは無伴奏で、指揮者もいません。自分の中にしっかりしたテンポ感、リズム感を持っていないと、演奏はすぐに崩れてしまいます。また、指定された一部の演奏だけで、曲全体のイメージを伝える必要がありますから、曲の理解力、表現力など、その演奏家の持つ全ての能力を駆使しなければなりません。ましてや、この審査で将来の道が決まるというプレッシャーのかかる中ですから、とても厳しい状況です。
どんな曲が出題されても対応できるよう、オケスタによく使われている曲の楽譜をできる限り集めてレッスンを受け、自主的に勉強しました。そのうちにオーディションの開催が発表され、帰国後は身近な演奏関係者にお願いして演奏を聴いてもらい、講評して頂きましたね。そして2008年9月、オーディションに合格し、佼成ウインドの一員になりました。
プロフィル
いわくろ・あやの 富山・高岡市出身。国立音楽大学卒業後フリーランスのユーフォニアム奏者として活動を始める。第18回日本管打楽器コンクールで第1位。2004年からパリ国立高等音楽院に留学し、07年に最優秀成績で卒業した。帰国後、08年にTKWO入団。ソロ、室内楽、吹奏楽、オーケストラなど多方面で活動し、13年にはソロアルバム「Fantasie Concertante」をリリースした。これまでに、ユーフォニアムを三浦徹、ユーフォニアムとサクソルンバスをP.フリッチュ、J‐L.プチプレの各氏に師事。現在、大学や高校で講師を務める。