TKWO――音楽とともにある人生♪ ホルン・上原宏さん Vol.2
吹奏楽部で指揮棒を振り、休み時間や放課後はホルンの練習に充て、音楽漬けの高校時代を送った上原さん。音楽への情熱は高まり、音楽大学に進学する。やがて、大学院を経てプロの道へ。今回は、東京佼成ウインドオーケストラ(TKWO)に入団した経緯、普段からホルン奏者として心がけていることについて聞いた。
吹奏楽の世界のパイオニア・東京佼成ウインドオーケストラとの出会い
――東京佼成ウインドオーケストラに入団したきっかけは?
桐朋学園大学の大学院生の時、学内にある掲示板に楽団員募集のチラシが張ってあるのを見つけました。二つの楽団がホルン奏者を募集していました。二つの楽団とは、シエナ・ウインド・オーケストラと東京佼成ウインドオーケストラでした。
音楽大学を卒業したからといって、演奏家としてすぐに食べていけるような甘い世界ではありませんから、私は大学で計画留年をしたり、大学院に進学したりして、演奏家として研鑽(けんさん)を積んでチャンスをうかがっていました。ただ、内心では、<早く就職しなければ……>という焦りがあり、オーディションには是が非でも合格したいと思っていました。
佼成ウインドは当時も、「全日本吹奏楽コンクール」の課題曲の参考演奏を務めていましたから、コンクールを目指す中学や高校の吹奏楽部の部員なら誰もが知る楽団でした。憧れを抱く学生が多かったと思います。でも、私はそのチラシを見るまで、TKWOの存在を知りませんでした。というのも、中学でも高校でも吹奏楽部に所属はしていたものの、コンクール出場を考えるような学校ではなかったので、コンクールの課題曲とも無縁でした。その上、当時、私の大学にはオーケストラ(管弦楽団)はありましたが、吹奏楽団はなく、その分野についての知識が少なかったのです。
団員募集のチラシを見つけてから佼成ウインドを調べ、フレデリック・フェネルさんが指揮をされていること、多くのレコードやCDを発売していることなどを知りました。吹奏楽の世界のパイオニアとして活躍していることに感銘を受け、もう、石にかじりついてでも入団したいと思いましたね。
しかし、最初に佼成ウインドのオーディションを受けた時は、採用者なしの不合格。すぐ後に、同じ東京を本拠地とするシエナ・ウインド・オーケストラのオーディションを受けて合格したのですが、半年後、佼成ウインドがホルン奏者募集のオーディションを行うと知り、再び挑戦しました。幸い合格することができ、1991年に佼成ウインドの一員になりました。