TKWO――音楽とともにある人生♪ ホルン・上原宏さん Vol.1

音楽に没頭する毎日

――中学校ではすてきな先生に指導を受けたのですね。高校でも吹奏楽部に入り、ホルンを続けたのですか?

それが、実はそうではなかったんです。吹奏楽部のある高校を選んで入学したのですが、吹奏楽を本格的に指導する先生はいませんでしたし、外部から指導者を招く部活動ではありませんでした。ですから、吹奏楽部といっても、実際はドラムセットを入れてポップスの演奏を楽しむ同好会のようでした。希望を持って入学したのに、想像していたのとは程遠く、やめようと思ったこともありました。私は吹奏楽のための作品を演奏したかったので、他の部員とギャップを感じ、それを埋めるのに苦心しました。

でも、やめませんでした。「せっかく入部したのだから、どうせなら、自分で部活を引っ張っていこう」。そう考え直し、1年生の夏過ぎに思い切って、「ホルンではなく指揮をしたい」と先輩たちに申し出たのです。1年生の大胆な発言ですから、当然大いにもめることになったのですが、やがて指揮をさせてもらえるようになりました。指揮者は、その役割上、作品選びに加わることができますから、吹奏楽の楽曲を提案し、それに取り組める環境を少しずつ整えていくことができたのです。

指揮を担当させてもらってからも、ホルンは続けていました。ただし、練習は部活以外の時間で行うしかありません。毎朝、校門前で開門の時間を待ち、授業が開始するギリギリまで練習していました。昼食も授業の合間に早弁して、50分間の昼休みを練習に充て、部活の後も、楽器を背負って自転車で広い公園に行き、おなかが空くまでホルンを吹きました。本当に音楽漬けの毎日でしたね。吹奏楽のカリキュラムがしっかりと組まれた部活動ではありませんでしたが、自ら考え、伸び伸びと気持ち良く音楽と向き合えました。振り返ると、とても貴重な時間だったと思います。

高校の吹奏楽部で、指揮者として楽団を引っ張っていく面白さを覚えました。将来はホルン奏者になりたいと思っていましたが、3年生になると、指揮者の自分を思い描くほどに、指揮への気持ちが高まっていました。実際に、音楽大学の指揮科への進学も考えました。指揮者として受験するためには、指揮法や楽典(楽譜を読み書きするルール)を習得しなければならず、受験までの期間に、ホルンを練習せず、指揮者になるための勉強をするか、ホルンを続けるか……、選択を迫られ悩みました。そこで、まずは音楽を学ぶために進学することを第一に考え、愛着があり、ずっと練習を積んできたホルンの奏者として受験しようと決めたのです。無事に合格し、大学に通うようになってからは、副科として指揮の授業をなるべく多く取りました。

その結果と言って良いのか分かりませんが、現在、TKWOでホルンを吹くだけでなく、八つの団体で指揮棒を振らせて頂いています。演奏家としてだけでなく、指揮者としても音楽に携わることができているという意味では、高校時代の夢を二つともかなえることができたとも言えます。本当に幸せなことだと感謝しています。

プロフィル

うえはら・ひろし 1966年、東京・武蔵野市生まれ。桐朋学園大学研究科を修了し、シエナ・ウインド・オーケストラを経て、1991年に東京佼成ウインドオーケストラに入団する。現在、桐朋学園大学教授、昭和音楽大学・昭和音楽大学短期大学講師、武蔵野市民交響楽団アンサンブル・ダ・カーポ常任指揮者、東芝府中吹奏楽団音楽監督などを務める。