元気なうちに家族で話して「死」「葬儀」「ご縁」のこと 浄土宗心光院住職・戸松義晴師

私たちは「死」や「死ぬ時のこと」について話をするのを「縁起でもない」と言って嫌いますね。自分がいつかは死ぬということも忘れて日々暮らしています。ですが、この世に生まれた以上、私たちは必ず死ぬのです。生老病死とは人生そのもので、そのどれか一つを否定すれば、それは人生を否定するのと同じことになる。だから「死」から目を背けることなく、しっかりと見据えて生きていく。それが仏教の考え方です。

私は檀家(だんか)の皆さんに、いつ自分の身に起こるか分からない死に向けての準備をお勧めしています。具体的には、家族や大切な人に、自分の死について思うところと、自分の歩んできた人生について伝えておくということです。

病気や事故で意識不明の状態になったら、どんな治療を受けたいのか、あるいは受けたくないのか、死んだらどのように葬ってほしいのか、何を大切に思って生きてきたのか、遺(のこ)された人たちに何を願うのか――そうしたことを、できれば家族で食事をしている時に、「今度の連休はどこへ遊びに行こうか」という話題と同じように語り合えたらいいですね。

子供さんには煙たがられるかもしれませんが、「私はこうしてほしいけれど、あなたたちはどう思う?」と、お互いが元気なうちに話して頂きたいのです。年齢の高い順に逝くことができるかといえばそうもいかず、場合によっては若い人の方が先に亡くなってしまうこともあります。ですから家族みんなで、自分の死について、そして人生について思うところを語り合っておくことが大事なのです。

皆さんは、家族一人ひとりの趣味、好きなこと、嫌いなこと、人間関係などをどのくらい知っていますか。案外、改めて聞いたことがないから分からないと言う方もいらっしゃるのではないでしょうか? もしもそうでしたら、どうかご家族で語り合ってください。そして、自分がどんな人とご縁を結んで生きているのかを家族に語り伝えてください。それがいのちを引き継ぐということだと私は思います。

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