【特別インタビュー 第34回庭野平和賞受賞者 ムニブ・A・ユナン師】 聖地エルサレムで、諸宗教対話による平和の実現に尽くす

宗教は、あまねく人々の「解放の源」に

庭野 ユナン師は「他者の中に神の顔を見る」大切さを説かれていますが、その具現化ですか?

ベツレヘムのルーテル教会でのクリスマスミサ©Ben Gray/ELCJHL

ユナン その通りです。私が、あなたに何かを尋ね、教え合うことで二人は顔見知りになり、お互いの共通性を知り、意見の違いも受け入れられるようになります。そういう関係になった時に、お互いが神によって同じように創造されたことを理解できるようになるでしょう。

さらに友人となって共に過ごすことで、私はあなたの中に「私の神」を見、あなたは私の中に「あなたの仏」を見てくださる。こうした経験は子供からスタートした方がいいと言いましたが、大人にも、そして宗教指導者にも必要だと思います。

「他者の中に神の顔を見る」ことは、私を敬虔(けいけん)にしてくれます。どの宗教を信じていても相手を尊重することによって、相手の中に私の神を見ることができるのですから。それが、全ての人は平等だと感じることにつながるのではないでしょうか。

庭野 諸宗教対話・協力の可能性についてはいかがですか?

ユナン 「他者への尊重」と言った時に、その根っこは宗教にあるということです。「神を愛すること」と「隣人を愛すること」を宗教は教えていますからね。信仰心があるならば、他者に対してもその人間性に目を向けていけるわけで、全ての宗教には本来、公益に向かって人々を助ける力が備わっているのです。

例えば、「殺してはならない」「他者を受け入れなさい」というのは、諸宗教の共通の行動規範であり、この精神が、世界で急増する難民の解決には欠かせないでしょう。また、神は互いに補い合うために、さまざまに形を変えて人間を創造されました。全ての人が平等で、助け合う存在であるという精神を大切にすることで、ジェンダーや貧困の解決に尽くしていくことができると考えます。

人類の歩みを振り返ると、宗教が人を圧迫する歴史があったのは事実です。ですが、問題は宗教にあるのではなく、聖典や経典を間違って読む宗教者にあるのだと思います。宗教は、権力の源であってはなりません。全ての人間にとって、「解放の源」でなければならないのです。
(通訳・肥田良夫氏=株式会社ヒューテック)

プロフィル

ムニブ・A・ユナン 1950年、エルサレム生まれ。フィンランドのヘルシンキ大学で神学の修士号を取得後、帰郷し牧師になる。98年から「ヨルダン及び聖地福音ルーテル教会」(ELCJHL)の監督を務めている。2005年に、3宗教の最高指導者と協力してエルサレムに「聖地宗教評議会」(CRIHL)を創立し、諸宗教対話・協力による平和構築に尽力。10年には「ルーテル世界連盟」(LWF)議長に就任した。現在、同名誉議長。

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