【『永平広録』現代語訳の著者・木村清孝氏】自分なりの“よりどころ”が見つかる一冊

一言一句が「私のよりどころ」に

――道元とのつながり、多くの人との出会いを経て、『永平広録』にたどり着かれたのですね。これから書籍を手に取る方へ、読み方のアドバイスなどありますか

『永平広録』を一言でいうと、興聖寺や永平寺において、道元が釈尊に代わって出家僧たちに語りかける、あるいは訴えかけているその言葉をまとめたものです。『正法眼蔵』の方は、どちらかというと在家の信徒にもある程度分かるように、言葉を選ぶなど配慮がなされていますが、『広録』は出家僧に対する言葉なので、なかなか難解だと思います。

全てを理解しようというよりも、釈尊が道元を通して、読者であるあなたに向けて対機説法をしてくださっていると思って頂くといいかもしれません。抱えている苦悩に対し、こんなことに注意するんだぞ、こんな見方があるぞ、とメッセージを送ってくださっていると思いながら、ぜひ何回も読み直してみてください。そのたびに違った気づきがあるはずです。自分なりの「ここだ」という一節、一言を見つけてもらえれば、この本の役割は果たせたと言えるでしょう。

――『永平広録』の現代語訳を執筆される中で、先生自身も「ここだ」という一節や、励まされた言葉などはありましたか

もちろんあります。例えば、道元が、自分は何も説法していなくとも、自分に代わって実は法堂の柱も、仏前の燈籠(とうろう)も、皆で力を合わせて説法しているんだと、それが聞こえるかい、と問われる場面があります。それが聞こえないのなら、それは「五戒を守るのにも劣るよ」と言われるのです。このくだりには驚きました。五戒とは修行の基本です。僧侶としてこれだけは守りなさいよと言われているもの、それを知らない、守ることができないのと同じくらいつまらないやつだと、叱責(しっせき)されているわけです。

言葉にできるものだけが仏の声ではないということですよね。言葉以外の形でしっかりと説法しているものが目の前にあるじゃないかと。もっと言えば、世界全体が説法の声に満ちている場なのだよと、そういうことを教えてくださっているのだと思います。

訳によって解釈は違うかもしれませんが、素晴らしい教えですので、その一言一句が「私のよりどころなのだ」と言っていいと、私は思います。

――『正法眼蔵』にしても、『永平広録』にしても、先人の智慧(ちえ)が文字として残される意義は計り知れないですね

文字が与える影響というのは、他に代わるものはありません。もちろん、写真や絵、映像で見ることも意味がありますが、感性や知性が深まるには、やはり文字が重要なのです。どんな本でもそうですが、私たちは一つの言葉の前後にある言葉も同時に読み取って、意味を理解しながら読み進めますよね。目で見る力とはそういうものだと私は思っています。

私自身、よく辞書で言葉を調べる時に、目的の言葉だけでなく、関連する別の言葉や違うページに飛びながら読むのが好きで、気になった言葉があると、そっちの方を真剣に調べてみることがあります。そういった「飛ばして読む」という行為は、本の形になっていないとできないんですね。電子データは手軽に答えにたどり着けますが、“遊び”がない。もっと自由に文字の世界を飛び回ることができれば、読書がもっと面白いものになる。『永平広録』もそうやって楽しんで読んで頂ければ本望です。きっと、読者の中から道元のような豊かな感性、人間性を持った方がたくさん現れることと思います。

人によっては難しすぎるな、ついて行けないなと思われるかもしれませんが、必ず自分にぴったりな気づき、仏さまからのメッセージが見つかると思います。ご愛読される一冊となるように願っております。

インタビュー動画はこちらから

https://www.youtube.com/watch?v=Q71k6GHuJ3k

プロフィル

きむら・きよたか 1940年、熊本県生まれ。東京教育大学文学部哲学科倫理学専攻卒業、東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専門課程博士課程単位取得退学。文学博士(東京大学)。専攻は中国華厳思想、東アジア仏教思想。四天王寺女子大学教授、東京大学教授、国際仏教学大学院大学教授および学長、鶴見大学教授および学長などを経て現在、東京大学名誉教授、仏教伝道協会会長、曹洞宗大本山總持寺顧問、函館少年刑務所教誨師、曹洞宗龍宝寺(北海道函館市)東堂を務める。主な著書に『初期中国華厳思想の研究』(春秋社)、『中国仏教思想史』(世界聖典刊行協会・パープル叢書)、『中国華厳思想史』(平楽寺書店)、『正法眼蔵全巻解読』(佼成出版社)などがあるほか、研究論文が多数ある。

書籍紹介

『『永平広録』「上堂語・小参」全訳注』上下巻
 道元(1200~1253)の思想的全体像を知るためには、その主著『正法眼蔵』とともに説法や法話を集めた語録『永平広録』の読解が不可欠。本書(上下2巻)は、『永平広録』の原漢文(白文。底本は門鶴本=祖山本)、現代語訳文、訳注からなり、上巻は巻第1から巻第4まで、下巻は巻第5から巻第8(小参)までを収載しています。巻末に道元年譜・道元関連禅宗法系図が付いています。定価は4180円(税込)。