利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(89) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

死者とお盆

日本の民間信仰では、お盆には、縁のある死者が地上に戻ってきて、生きている人々と交流ができると信じられている。だから、日本人はこの時期にお墓参りをし、お供えをして、死者に対して祈る。この慣習は、今でもかなり受け継がれている(拙著『神社と政治』角川新書、2016年、第5章)。

これは、科学では検証するのが難しい宗教的領域のことである。しかし、実体験として何らかの事柄が広く存在するから、慣習として受け継がれてきたのだろう。私的体験ながら、その一つを報告しよう。

お盆前に高齢の父が亡くなり、仏教寺院でお通夜と告別式を行った。年初に病気が悪化して緊急入院し、病気そのものは一定程度回復したのだが、体力が戻らず、転院して療養していたのだった。食欲も旺盛で、寝たり起きたりしながら、比較的落ち着いた状態で過ごしていたが、数日前から老衰によって体調が悪化した。発熱した前日に面会がかなって、その時に父がさまざまな言葉を発していたが、聞き取れなかった。当日の朝には回復の可能性もあったものの、突然心拍数が低下して数分で心肺停止状態に陥ったという。主治医も初めてというような急な死だった。「朝にはここまで急に亡くなるとは思わなかったので、人の運命は分からないものだな」と繰り返し言われていた。そのため、苦しみ少なく安らかに逝ったように思えた。

高齢ゆえ、いずれこの時が来ることは覚悟しており、安らかな死を迎えることを願っていたから、私にとってこれは、せめてもの幸いだった。さらに、宗教関係者をはじめ複数の方から、お盆の時期に亡くなるのは、お迎えが来たということだ、という慰めの言葉も頂いた。初耳だったが、ウェブサイトなどで見てみると、暑い夏には高齢者が亡くなることが多い上に、統計的な確証はないものの、お盆に亡くなりやすいという説があり、このような考え方が流布しているらしい。

そう聞くと、思い当たることもあった。最後の1カ月ほどは、病院内でコロナ感染者が出たために面会ができなかったのだが、その前に面会した時、最後に父は、「母さんが来て話をしている」と言っていた。母は、2年前の秋に亡くなっている。他にも妄想めいた話をしていたので、ことさらに重視はしなかったものの、「お迎えではないか」という思いもよぎった。

さらに、死の直後に、近親者が「ありがとうね」という(関係者みなに対する)言葉を聞いたという。自分も聞きたかったという気もしたが、慰めにもなった。死の直後に、死者からのこのような声を聞くという事例も読んだことがあり、私の周辺でも起こったことになる。

まとめて考えると、高齢ゆえ、天寿を全うし、お盆の時期にお迎えが来て、一言御礼を言って旅立っていったということになりそうだ。このような考え方は、遺族の心を慰める。実際にこうしたことが時に起こるから、死者の魂の実在という考え方が根強く存在するのだろう。科学的な立証は困難だが、私の個人的体験もこのことを裏書きしたことになる。

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