食から見た現代(3) 「おかわり」と言えない高校生〈前編〉 文・石井光太(作家)

埼玉県にある創設58年を迎えた定時制高校の給食は、あたりが暗くなった午後6時5分からはじまる。1時間目(午後5時20分~)と2時間目(午後6時35分~)の間の30分の中休みが給食の時間だ。

2023年11月、私が給食中の食堂に足を踏み入れると、意外なほど静寂に包まれていた。生徒たちは一様に同じ方向を向いて座り、黙々と箸と口を動かしているだけなのだ。同級生が隣に座っていても誰一人として口を利かず、まっすぐに一点を見つめているか、スマホで動画を見ているかしているだけだ。

私は傍(そば)にいたふくよかな体型の女子高生に話しかけてみた。彼女は全日制高校で不登校になり、ここに編入してきたそうだ。

――おいしそうな給食だったね。お腹(なか)いっぱいになった?

「さあ……」

――朝食とか昼食とかって家でどうしてる?

「……うち、ごはんないんで。作ってくれないんです」

――そう。じゃあ、自分で作ったり、買ったりしてるんだ。

「……いや、わからないです」

その後も、同じような会話がつづき、彼女は背を丸めて教室へ帰っていった。

私は静かな給食の風景を見ながら、2年ほど前に取材で出会った須藤咲妃(仮名)を思い出した。18歳だった彼女は家出をした後に夜の街を漂流する中で、父親のわからない子どもを妊娠し、「育てられる自信がない」と言って特別養子縁組に出した。そんな彼女の家出のきっかけが、定時制高校を中退したことだった。彼女は中退の理由を次のように話していた。

「高校をやめたのは、ご飯がもらえなくて、歩くのも疲れる感じだから」

家で彼女は親からほとんど食事を与えられず、空腹から無気力になり、学校へ行く気持ちがなくなったという。

定時制高校の生徒たちにとって、「食べる」とはどんな意味を持つのだろう。この定時制高校を訪れたのは、取材の時に感じた心のわだかまりを解消するためだった。

日没が近づきはじめた午後4時、高校の正門の前で1人の教員が私を待っていてくれた。佐藤元氏(64歳)だ。理科の教員として、現在は定時制のクラス担任も受け持っている。佐藤氏は一階にある生徒指導室へ私を招き、話を聞かせてくれた。

佐藤氏は定時制高校での指導歴が長い。教員として最初に赴任したのが埼玉県内の定時制高校で14年間教鞭(きょうべん)をとった後、全日制高校へ移って4年間教えた。その後、この定時制高校に転任し、今日に至るまで18年間教壇に立ってきた。合計36年間の教員生活のうち32年間を定時制高校で過ごしたことになる。

佐藤氏は語る。

「私が教員になった1980年代、定時制高校は全日制に行けない、いわゆる不良が集まる荒れた学校で、校内暴力の温床みたいに見なされていました。生徒たちは学校に大きな恨みを抱いて、反抗してやろうという気持ちがすごかった。今では信じられないことですが、学校側は問題を起こす生徒をいかにして退学に追い込んで、校内の暴力を減らすかに必死でした」

戦後から1970年代まで、定時制高校は低所得家庭で生まれ育った勤労学生が通う場だった。彼らは朝から夕方まで会社で働き、夜間に勉強をすることで高卒資格を取得したり、大学進学を目指したりしていた。

風向きが変わったのは、1970年代に入ってからだ。学校の厳しい詰め込み教育の中で「落ちこぼれ」と呼ばれる生徒が現れるようになり、定時制高校はその受け皿となった。生徒たちは学校に憎しみを持ち、授業を妨害する、窓ガラスを割る、教員に暴力を振るうといった問題行動をくり広げた。