食から見た現代(1) ココナッツとDV〈前編〉 文・石井光太(作家)

シニガン、カオマンガイ、フォー、アドボ、ガパオライス……。

千葉県中央部の小さな町にある母子生活支援施設「FAHこすもす」からは、夕暮れ時になると、東南アジアの料理の香りが漂ってくる。ココナッツオイル、ナンプラー、チリソースといった調味料には、日本にはない甘味や酸味が溢(あふ)れている。

寮のキッチンで料理をしているのは、海外にルーツを持つ母親たちだ。来日する前に、母国で食べてきた家庭料理を作り、日本で生まれ育ったわが子に振る舞っているのだ。愛する子どもたちのお腹(なか)を、祖国の味で満たしたいと思っているのだろう。

FAHこすもすは、千葉県内に4施設ある母子生活支援施設のうちの一つである。母子生活支援施設とは、古くは「母子寮」と呼ばれ、経済的困窮、借金、精神疾患など困難を抱える母親と子どもが身を寄せる施設だ。中でも夫やパートナーからのDV(ドメスティック・バイオレンス)から逃げてきた母子の保護が全体の多くを占めている。職員たちはそこで彼女たちの傷ついた心を癒(いや)し、離婚の手続きなどを進め、生活保護を受けさせたり、就職を手伝ったりするなどして自立を支援する。

FAHこすもすは、これまで受け入れてきた母子の半数強が外国にルーツのある人たちという珍しい特徴がある。その多くがDVから逃げてきた。たとえば、2023年12月の取材時点で、入所している6世帯のうち3世帯が外国にルーツのある母子だ。国籍は、フィリピン人が2世帯、タイ人が1世帯。これだけ外国人の割合が高いのは、国内に200カ所以上ある母子生活支援施設の中でもここが唯一である。

なぜ、FAHこすもすに外国にルーツのある母子が集まるのだろう。それは設立の経緯と関係している。

FAHこすもすを創設したのは、理事長の花崎みさを氏(81歳)だ。彼女は大学卒業後に海外の国際児童養護施設に勤務するなどした後、1981年に日本に逃げてきたインドシナ難民の子どもの里親活動をはじめた。インドシナ難民とは、ベトナム戦争によってベトナム、ラオス、カンボジアなどから難民として逃れてきた人々のことだ。

花崎氏は1985年に児童養護施設「野の花の家」を開設し、日本人児童も外国人児童も分け隔てなく受け入れた。それが軌道に乗ってきた頃、フィリピンやタイなどから出稼ぎにきた女性たちが、日本で結婚した男性、あるいは同居している男性からDVを受けていることが知られるようになった。花崎氏はそうした母子の支援も欠かせないと考え、1991年にFAHこすもすをシェルターとして開設したのである。

こうした経緯があったことから、花崎氏は設立当初からFAHこすもすが外国人母子の保護に積極的な施設であることをアピールしていた。自治体の方も、外国人母子の対応には専門的な知識が必要とされるため、優先してFAHこすもすに委託した。評判は県外にも広まった結果、北は東北、南は九州から外国人母子の保護を委託されるようになったのである。

2023年12月、FAHこすもすで取材に対応してくれたのは、主任母子支援員の鳥海典子氏(49歳)だ。さばさばした明るい話し方が特徴的な女性だ。

鳥海氏はFAHこすもすで勤務をはじめてから20年以上になるという。彼女の実家は施設の傍らにあり、同じ小学校、中学校で花崎氏が受け入れていた外国人児童と接した経験があったそうだ。大学では社会学を学んでいたこともあり、NPOでボランティア活動をしたり、卒業後にフィリピン留学をしたりした。そうした中でFAHこすもすともつながりができ、二十代の頃に欠員が出たと教えられ、就職したという。

FAHこすもすには、どのような事情を持った母子が集まるのか。鳥海氏は言う。

「設立した当初はインドシナ難民やフィリピン人の母子などが集まっていたそうです。ただ、私が知っている1990年代以降は、フィリピン出身の女性が大半でした。エンターテイナーとして日本にやってきて、夜の街で働きながら日本人男性と結婚し、そこでDVを受けて逃げてきた人たちですね」

1980年代以降、フィリピンの若い女性たちが出稼ぎ目的でエンターテイナーとして興行ビザで来日することが増えた。名目上は飲食店で歌やダンスを披露するための来日だったが、実態は外国人パブでホステスとして働いたり、ひどい時にはパスポートを取り上げられて売春を強制されたりすることもあった。

そんなフィリピン人女性たちが目指していたのは、日本で稼いだお金を母国の家族に送金することだった。その中で、日本人男性に口説かれたり、恋に落ちたりして同棲、結婚する者もいた。だが、外国人パブに訪れる日本人男性の中には、粗暴な性格でアジア系外国人を見下している人も少なくない。そうした国際結婚が、日本人男性の外国人妻へのDVへとつながったのである。