立正佼成会 庭野日鑛会長 7月の法話から

7月に行われた大聖堂や教会での式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)

初心を胸に

「初心忘るべからず」という言葉は、「新鮮な感動をいつまでも忘れないように」との意味を込めて、結婚式や入社式などの祝辞でよく使われます。

しかし、この言葉は、能を大成した世阿弥が述べられたもので、その時の言葉と、現在使われているものとは、意味合いが違っているようです。世阿弥は、「学び始めた当時の未熟さや経験を忘れてはならない」との意味で、この言葉を使われました。

私たちは、日本の伝統文化の中で育ってきたのですから、能の世界で使われた意味合いも心得ておかなければなりません。そして、これと、現在一般的に使われている意味の両方を考えながら使っていくことが大切です。

学び始めた当時の至らなさ、未熟さは早く忘れたいものですが、その体験が後の人生の役に立ちます。世阿弥が「初心忘るべからず」という言葉に込めた意味合いをしっかり受けとめ、自らの人生に生かして精進させて頂きたいと思います。

親の思い

お盆というと、お墓参りをすることが習いになっています。このような歌があります。

亡き父の 背をながすごと 墓洗う

作者の父親はすでに亡くなっていて、風呂で父親の背中を流すような感じでお墓を洗うという意味です。

私は、風呂で父の背中を流すことはあまりなかったのですが、ある時、私が風呂に入っていると、「背中を洗ってやる」と言って、突然入ってきたことがありました。それは、私が二十代後半で、8日間の断食修行をしていた時のことでした。

断食とはつらいもので、2、3日経つと、おなかが空いてしようがない。それで8日間の断食修行を終えて帰ってきたときに、父が背中を流してくれたのです。父からは「とても艶がいいな」と一言、褒め言葉を頂きました。お盆がまいりますと、このことを思い返します。

親子では同性同士の反発があるといわれ、特に激しいのが男性のようです。だいたい、親の意見というものは、子供が若いうちには分からないものです。子供が、その時の親と同じような年齢になって、親の言ったことが分かってくるようです。私も後期高齢者でありますので、親が言っていたことが、本当に有り難く感じられます。

お盆の季節、皆さんも親御さんの心、優しく温かい心を思い出して、これからの仏道精進に役立てて頂きたいと思います。

画・茨木 祥之

大輪をつける蓮に倣って

蓮は泥沼に根を生やし、茎が泥沼の中をはって、あのような美しい花を咲かせます。泥水が濃いほど、きれいな大輪を咲かせるというのです。

大きな花を咲かせるには、泥が必要です。仏教では、この泥を迷い、一般的には、悲しいこと、つらいこと、苦しいこととして表します。蓮は、泥にあって泥に染まらないで、きれいな花を咲かせることから、人も悩み、苦しみの中にあっても迷いに染まらず、花を咲かせ、実を結ぶことができるというたとえとして、蓮を大事にしています。

私たちの人生には、苦しいこと、大変なこと、悲しいことがいろいろあります。しかし、そうした経験によってこそ、自らの悩みを解決し、人さまをお救いできるようになるのです。蓮の花のたとえは、私たちに大事なことを教えてくれています。