立正佼成会 庭野日鑛会長 12月の法話から

地球を守ろう

現代の地球には気候変動など、いろいろな問題があります。私たちがそういう地球にしてしまったということです。人間が地球に生存できるようになり、いろいろな知識を得て、それで文明が栄えてきました。

しかし、人間は地球を破壊してしまう方向に行き、自らが生きている地球を滅ぼしかねないのだというのです。

「人間は暗い影をもっている存在である。その何処(いずこ)より来(きた)り、何処に去るかを知らない。この世のことには無知で、彼自身のことには蒙昧(もうまい)である」

これは、ゲーテの言葉です。人間は蒙昧ですから知識が開けない、物事の道理に昧(くら)いということです。私たちは人間として、地上に生を享(う)けましたけれども、それを本当に祝福していいのかどうか分からない、そんな感じさえします。

「妙法」といわれている釈尊のこの法によって、何とかこの地球を救い、また多くの方々の悩み苦しみも救っていく――そういう大乗菩薩道を歩んでいく決意を新たにするのが、成道会です。仏さまのみ教え、妙法によって、私たち自身も、そしてまた地球そのものも救われるような働きをお互いさまにさせて頂くことが大切です。
(12月8日)

生を享けた尊さに気づけるように

私たちは、とかく、自分が今ここに生きていることを素直に受けとれなくて、不平不満を言ってしまうことがあります。背が高いとか低いとか、そんな文句を言うことが多いのですが、よく考えてみますと、人間としてこの世に生んで頂いた、そのことを一つ考えただけでも、すごく有り難いことであると素直に分かります。そういう素直さを失って、つい不平不満を言ってしまうのです。

それは、仏教の不殺生戒(ふせっしょうかい)にあたるといわれます。自分が人間として生を享けたことを喜ばないで、不平不満だけを言っているのも、不殺生戒だというのです。

私たちはとにかく、親から頂いたいのち、大きく言えば神仏から授かったいのちであることに気づく、そうしたいのちの本源に気づくことが大事です。

また、人間は「自己」を認識する唯一の動物です。人間とはいかなるものなのかを問うことができ、しかも、自分が必ず死ぬことを自覚しています。

「自己を認識する」、あるいは「人間とはいかなるものか」「自分が必ず死ぬ」ということを自覚できるのは、人間として生んで頂いたからこそです。そういう意味で、私たちは自らのいのちに感謝をすること、仏さまの教えを通じてそれに気づくことが大事であると分からせて頂けるのです。
(12月15日)

画・茨木 祥之

誰もが悟りを得られる

釈尊は、法を自覚され「覚者」、すなわち「仏」となりました。その法とは「宇宙の大法」であって、釈尊の独占物ではありません。心を持つ人間は誰もが、釈尊の悟られた法を理解することができ、そういう人間に、私たちは生まれたのです。釈尊が悟られた法を自覚する可能性は、ただ人間のみに賦与(ふよ)されたものであるのです。

私たちは、人身(じんしん)を受け得たことを喜び、讃歎し、自らのいのちを生かしていくことが大事です。

人間の心としては、釈尊の心も、私たちの心も全く違いがありません。そこに深い、浅いといった違いはあるかもしれませんが、私たちも心を修練し、磨いていく――そのことを通して、釈尊と同じような真理を悟り、仏となる道を今、歩ませて頂いているのです。
(12月15日)

一つ一つ仏に向かって

今、人生百年の時代ですから、80歳はまだまだ鼻たれ小僧かもしれません。ただ、釈尊が80歳まで生きられたことは、当時としては大変長い寿命であったと思います。

当時の人たちの平均寿命はどのくらいであったでしょうか。現在の80歳とは全然比べものにもならないと思います。私も80を超え、釈尊が到達されたような仏としての心、境地に近づいていきたいと思っていますが、なかなかそう簡単にはまいりません。

お互いさまに、釈尊のお説きくださった教えを理解できる、そういう人間に生んで頂いたこと、いのちを授かったことに感謝をしながら、人生を全うしたいものです。
(12月15日)