立正佼成会 庭野日鑛会長 9月の法話から
わが家をオアシスにしよう
会員綱領にもありますように、私たちは「世界平和」という大きな目標、目的、理想を持っています。世界の平和を築いていくことは、自分の家庭、それぞれの地域社会、そして国へというように、足元の平和から始まるのです。
ある方のお話から、次のように受け取らせて頂きました。
世界の平和と言ったときに、私たちは、とかく、己(おのれ)一人、自分というものを見て、とても無力なものと思いがちです。「ごまめの歯ぎしり」という言葉がありますが、そのように思わずに、いかに自分の存在が些細(ささい)なものであっても、それはことごとく周りの人々、社会に関連していることをよく認めて、まず自らを良くし、また自らの周囲を良くする――このことが肝心です。「周囲」とは日ごろの家庭内であり、その「周囲」を良くしていくことです。世の中のいろいろなことは、悪く見れば、荒涼たる世間とも言えますが、その一隅に、緑のオアシスをつくることが大事なのです。
中国のシルクロードに行きました時に、砂漠の中を車でずっと走っていますと、緑がある所が見えてきて、そこに町ができていました。それを過ぎると、またずっと砂漠が続いて、緑がある所に来ると、そこにまた町ができています。そのように、荒涼たる世間の一隅に緑のオアシスをつくることが、一つの平和づくりになるわけです。オアシス的なもの、つまり家庭に良い家風や良い気風をつくれないような人間が集まって、どうして幸福な人類が実現できるだろうか――ある方は、そう言われています。本当にそうだと思います。
私たちはまず、一番身近な家庭をオアシスのようにすることが大事です。それを通して、平和な地域社会をつくる。それがまた、国家のためになる。そしてそれは、大きく言えば、世界の平和につながります。
まず、緑のオアシスをわが家からつくる。それが大きく影響して世界の平和につながる。そのように、日ごろの生活をさせて頂くことが、信仰者として大事なのです。
(9月10日)
合掌を通して清浄になる
西式健康法の健康会館で断食をしたことがあります。(創始者の)西勝造先生はご著書の中で、次のようなことを記されています。
私たちが合掌をする、それも肘が心臓より高くなるような合掌をすると、二つの手が合わさり、体の神経が整うのだそうです。そして無心になって合掌をしていると、心も整ってきて、ほとんど無の状態――善とか悪とか、そういうことを忘れて無の状態になります。ですから、「合掌は神に通ず」という言葉があるのだということです。
仏教では、一人の人間の心が「十界互具(じっかいごぐ)」、つまり、地獄から仏界まで全部具(そな)わっているということですから、私たちの心には汚いものもあると言っても差し支えありません。ですから、私たちが一心に合掌をする上では、きれいな無心の状態になるのが、本当の合掌の意味です。心には汚いものもあるかもしれませんが、仏さまをお参りする時は、一心に合掌して、身も心も一体になり、きれいになり、無心になって、仏さまを仰ぐ――それが、本当の合掌礼拝(らいはい)になります。
私たちは仏さまをいつも合掌礼拝することを通して、身も心も清浄になり、仏さまを仰ぐことによって、人間としてより高く、理想を持って生きていきたいという気持ちにさせて頂けるのです。
(9月10日)