立正佼成会 庭野日鑛会長 2月の法話から

2月に行われた大聖堂での式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。
(文責在編集部)

慈悲から生まれる智慧

日本語に「諦(あきら)める」という言葉がございます。この「諦める」という言葉の真意は、「ものごとのあり様(よう)を明(あき)らかにする」――そういうことを意味しているわけであります。
このことについて、仏さまの逸話(いつわ)があります。

ゴータミーという女性がいました。愛児(あいじ)、幼子を亡くした彼女は、悲しみのあまり、その遺児を抱いて町中を駆け回り、生き返らせる人を探し歩きました。その時に、仏さまが奇蹟(きせき)を行うという噂(うわさ)を聞きつけて、仏さまの所に行きました。

「あなたは、人を生き返らせると聞きました。私の子供を生き返らせてください」。ゴータミーの言葉を聞いた仏さまは、こう言われたというのです。

「一人の死者も出していない家を探しなさい。そして、そこからカラシの種をもらってきなさい。もしその種をもらってきたら、子供を生き返らせる薬をつくってあげよう」

ゴータミーは、町中の家を一軒一軒訪ねて回りましたが、一人の死者も出していない家を見つけることはできませんでした。その結果、ゴータミーは自分の愛児の死を受け入れなければならないことに気づいたというお話です。悲しい別離、事実を知ることによって、愛児を生き返らせることを諦めたということであります。

この場合の「諦める」ということは、さきほども申し上げましたが、人は誰しも死ぬということを「明らかにする」ことです。それは、つらく、悲しいことですが、受け入れなければならないということも現実であります。

このことを仏さまは、頭から教えるのではなく、自分の体験を通して真実を悟らせる方法をとって、その人自身が諦める、明らかにするように説法をされたという一つの逸話でございます。本当に考えさせられる逸話です。

ついつい私たちは、「仏さまの教えはこうだから」「人生は苦だと言われているのだから」「生老病死は誰も避けられないのだ」――こういうふうに教え込もうとするわけですが、仏さまは、死人を出したことのない家を探しなさいと、彼女に町中を回らせて、確認させて、そして気づかせた、明らかにさせたということであります。これは、仏さまの智慧(ちえ)と申しましょうか、慈悲の心から、そのように教えられたわけです。私たちも、こうしたことから多くのことを学ばせて頂けると思います。

すべてが素晴らしい

有名な道元禅師の次のような和歌があります。

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり

日本では、四季がはっきりしています。春が来れば花も咲く。夏になれば鳥も鳴き、秋は綺麗(きれい)なお月さま。冬になると、新潟などには、雪がたくさんあります。一年を通して、春は春で、夏は夏で、秋は秋で、冬は冬で素晴らしいと道元禅師は詠んでおられます。

ともすると私たちは、花がいっぱい咲く春が好きだとか、夏は嫌だとか、巡ってくる四季に対してまでも、いろいろと文句を言ったりする場合があります。しかし、この道元禅師の和歌は、そうしたすべてを受け入れて、みんな素晴らしいということを表されているわけです。本当に素晴らしい受け取り方であります。

画・茨木 祥之

心のありか

未来のことや他者のことを想像したり、推測したりできる能力を「心」と言うことができます。

私たちは、自分のことだけではなく、人のことを考え、人の幸せのためになる働きをしたいと思うものです。例えば、自分がお腹を空かし、そばにも、ひもじい思いをしている人がいて、おにぎりが一つだけであったとします。そのときに、自分だけで食べたいけれど、そばに人がいるので一人では食べることができず、やはり人と分け合って食べようという気持ちになります。

それは、私たちに人を思いやるとか、自分だけでこっそり食べてしまったら自らが落ち着かないとか、そういう心を持っているからです。みんなで分け合って食べようという思いが起こってくるのは、心がそこにあるということです。

一人ひとりに宿る神さま

幼い子供たちは、いろいろなことに疑問を持ちます。「神さまって、いるんだろうか」というようなことをよく大人に聞きます。このことについて、教えて頂いたことがあります。

誰にも知られないように、こっそり何か悪いことをすると、「見つかったらどうしよう」と心配になります。しかし、その心配になるということが、一人ひとりの中に神さまがいるということなのだそうです。

決定即精進

私たちは、お互いに仏道精進をするわけですが、よいことだと分かっていても、なかなかすぐにできないことが多くあります。

今年も2月に入ってしまいました。昨年の暮れあたり、「お正月が来たら、新たな自分になりたい」と決定(けつじょう)されたかと思います。しかし、元旦から始めようと思っても、「今日はお正月だから一杯飲もう」などといって、なかなか始めようとしません。

「元旦だから、五日になったら始めよう」と考えてしまいがちですが、一日に始めない人は、五日になっても始まらないのだそうです。ですから、ご法を精進しようと決意したら、決意したその時に始めないと何も始まらないのです。

そういう意味で、私たちが変わるとしたら、「今なんだ」と。そして、今決定したら「今から始める」と。そうでないと、私たちは一生、精進ができないのだいうことを教えて頂いています。

諸行無常(しょぎょうむじょう)――時間はどんどん過ぎてしまいます。「自分が変わるのは今日」「ただ今から変わるのだ」ということが、今日の時間を自由に使う上で一番大事なのです。

仏の世界、地獄の世界

仏教では、「仏の世界」「地獄の世界」といったことが言われますが、これは人間の心の外にあるものではありません。仏や地獄というものは、実は人間の心の中にあるのです。

心に執着や迷いがあり、それが甚だしくなって、人間や自然に対して怒りの心を持つようになると、人の心の中に地獄の世界が現れます。自分と他人が本当は一つであることが分かり、すべての物や人に対して思いやりの心、慈悲の心で向き合うことができるようになると、心の中に仏の世界が現れるのです。

外の環境に「仏の世界」「地獄の世界」があるのではなく、私たちの心の中にこそ、「仏の世界」も「地獄の世界」もあるということが、教えの核心であります。