立正佼成会 庭野日鑛会長 3月の法話から

3月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)

サンガと法座の尊さ

人生を深く生きるとは、自分の悩みや苦しみの意味を深くかみしめることによって、苦しみは必ずしも自分一人だけのものではなく、多くの人々が等しく悩み、苦しむのだと分かるようになることだと思います。

一方、人生を浅く生きるとは、自分の苦しみや悩みを、自分一人だけが悩んでいるように考えて、これを非常に大げさなことのように思い違いをしてしまい、「自分だけがこんなに苦しんでいる」「あの人のせいだ」「この人のせいだ」と人を憎んだり、怨(うら)んだりして、自暴自棄の道を歩んでしまうことです。

そうしたことがありがちですが、私たちはご法を頂いて、実は自分だけではなく、大勢の人が悩み、苦しみ、そして生活していることを分からせて頂いています。特に法座などに参加しますと、いろいろな人々から悩み、苦しみが発表され、それに対するやりとりが展開されます。その中で、自分と同じような悩み、苦しみを持っておられる方がいることが分かってきます。教えを深くかみしめる機会が与えられているのです。サンガの有り難さをつくづく感じると同時に、お互いの体験を通して話し合うことができる法座が大切であるとよく分かります。
(3月1日)

人に欠かせない「心の食物」

特に若い時期には、本を読むことです。最近は、ほとんど読書をしないという人が増えているようですが、読書は、私たち人間にとって非常に大事であり、人生の意義をいろいろと考えるチャンスとなります。

人間は、ただ食べて、体をつくっていくだけでなく、心を持っていますから、読書は、「心の食物(しょくもつ)」と言えます。特に私たち人間は、「心の食物」をしっかりと摂(と)っていかないと、自分を失ってしまうのです。

私たちは、お互いさま、朝夕の読経供養をさせて頂いています。言ってみれば、それが読書にもなります。読書の「書」が経典だとすれば、毎日のように読書をしているのです。

そして、仏さまの教えを繰り返し、繰り返し読むことによって、「心の食物」を頂くのです。昔は、井戸があって、汲(く)み上げて水を頂くことがありました。今は、ほぼ日本中、世界中、蛇口(じゃぐち)をひねれば、水が出てきますが、ちょうど昔の、井戸水を繰り返し、繰り返し汲み上げるように、毎日読経することが、「心の食物」を頂くことにあたります。

毎日欠かさずに読経することによって、そこから仏さまの有り難い心を頂いています。ですから、日頃の読経供養をしっかりとさせて頂くことが、とても大事なのです。
(3月1日)

【次ページ:「人材育成は、家庭を斉えることから」「人が育つ基盤は家庭に」「『今』を大事に生きる」】