食から見た現代(26) 「おすそわけ」がつなぐ人と人との縁 文・石井光太(作家)

なぜ、ここまで物でなく「思い」を大切にするのか。それはこの活動がはじまったきっかけとも関係する。
大阪のアパートで生活に困って餓死した母子になかったのは、他者との関係性だった。もし家族以外に頼れる人の存在があれば、彼らは「助けて」の声を上げ、悲劇を回避することができたにちがいない。松島氏の中には、貧困支援には物質的な支援と同時に、人とのつながりが大切だという気持ちがあるのだ。
とはいえ、家庭に段ボールが届いた際、そこに詰まっているのは物としてのおやつだ。家族はそこからどうやって他者の「思い」を感じ取るのか。
松島氏は話す。
「おてらおやつクラブでは、お供え物をおすそわけする際、スタッフが手書きのメッセージを入れたり、LINEを介しておてらおやつクラブと、支援を求めたご家庭がメッセージをやりとりできるシステムがあったりします。これによって、双方向的なやりとりができるようになっているのです。ただ、まったく想定していなかったところで、私たちとのつながりを感じてくださったという声もよく届きます。
たとえば、あるご家族からは、『段ボールを開けた途端、うっすらとお寺のお線香の香りがして嬉しかったです』と言われたことがあります。段ボールに閉じ込められた香りを通して、お供え物をくださった方や、私たちスタッフの人の存在を感じてくださったのでしょう。
別の家族からは、『あんこのお菓子を子どもが珍しがって喜びました。初めてのお菓子でびっくりしていました』と言われました。若いお母さんが子どもに買い与えるのはポテトチップスのようなスナック菓子が大半で、なかなか饅頭(まんじゅう)や最中(もなか)のような和菓子は選ばれません。けど、お供え物は逆にそういうものが目立つ。そういうことから、お寺にお供えをした人のことを考えてくれるきっかけになったのです」

たしかにお寺に届けられるお供え物には、お寺の香りや特徴がある。もらった家族はそれを通して、背後にあるたくさんの人の「思い」に気づくのだろう。
松島氏は、こうしたつながりが支援の一助になると考えている。彼はつづける。
「私の理想は、『おすそわけ』によって人と人とのつながりを創出することです。困っている人は、社会的な関係性が薄く、孤独を感じている傾向にあります。しかし、おてらおやつクラブの取り組みによって、支援者の存在を感じてくれれば、いざという時に自分から声を出して助けを求めることができると思っています。『おすそわけ』は、食料支援だけでなく、人との関係性を作る取り組みなのです」
お寺とのつながりといえば、こんなこともあった。
おてらおやつクラブでは、お供え物を提供してくれる賛同寺院には、おてらおやつクラブのロゴと名前が入ったのぼりを立ててもらっている。
ある日、そのお寺の前を、支援を受けている親子が通った。2人はお寺の前にはためくのぼりを見て、こう話した。
「いつも頂いているおやつは、あのお寺から届いているのかもしれないね」
そしてそのことをおてらおやつクラブの事務局に連絡し、改めて感謝を述べたという。こういう形で支える人たちとご家庭が目に見える形でつながることもあるのだ。
松島氏によれば、コロナ禍では、もともと見えにくいとされてきた子どもの貧困や生活困窮の問題が、支援要請の増加という形で表に現れやすくなったという。ぎりぎりの状態で踏みとどまっていた家庭が、収入減や失業などをきっかけに支援を必要とする状況に至り、「助けて」と声を上げる人が増えたことが背景にある。
ところが、コロナ禍が一段落して社会に活気が戻ると、そうした困りごとは再び見えにくくなっていった。もともと子どもの貧困は表面化しにくい課題であり、日常が戻るにつれて意識されにくくなった側面もある。松島氏は、そんな時代だからこそ、あえて人と人とがつながれる機会を提供していくことが重要になると考えている。
松島氏は話す。

「おてらおやつクラブと支援を受けるひとり親家庭は、『おすそわけ』のほかLINEやのぼりなどによってゆるやかにつながりつづけることができる仕組みになっています。それがあるからこそ、困りごとを抱える方が誰かに見守られているという安心感を得たり、逆にお寺の方が困っている人の力になろうとしたりする。何か難しい状況になった時にSOSを出すか、あるいは誰かが気づいて手を差し伸べるかは、普段からそういう関係性があるかどうかが大きいのです」
日本社会には、自治体が設置する相談窓口など、支援の入口は意外にたくさん存在する。だが、本当に困っている人たちが、いざという時にそこに連絡しないのは、それ以前のつながりが希薄だからだ。誰ともわからない人に対して、いきなり窮状を訴える気になるわけがない。だが逆に言えば、松島氏が言うように、おてらおやつクラブのつながりが普段からあれば、重要な時に助け合えるきっかけになるのだ。
今後、おてらおやつクラブは、このつながりを発展させたいと考えている。松島氏は話す。
「これまではお寺のお供え物を中心に、支援団体や支援制度とひとり親家庭をつなげる取り組みをしてきました。この先はもう一歩先に進めて、お供え物をする個人の支援者と、ひとり親家庭を直接つなげる仕組みを築きたいと考えています。
現在、個人の支援者の中には、おてらおやつクラブの取り組みを知り、法事などとは別に、『これをおてらおやつクラブの活動に使ってください』と食べ物や生活必需品を届けてくださる方が増えています。これまで私たちはそれをお供え物としていただき、『おすそわけ』していたのですが、支援者が何かをしたいと思い立った時、SNSを通じて直に何かを届けられる仕組みを用意したいのです」
おてらおやつクラブは、すでに個人情報を保護した上で、LINE上で多くのひとり親家庭とつながっている。今後は、困っている人が声を上げた時、それを見た個人の支援者がLINEギフトなどを利用して匿名でカタログから簡単に「おすそわけ」ができる事業をはじめようとしているのだ。そうすれば、日本中の人が、おてらおやつクラブを通していつでも困っている人を支えることが可能になる。
松島氏はつづける。
「今までも、これからも、おてらおやつクラブが成立するには、お寺や僧侶への信頼が土台になると考えています。お寺や僧侶がしっかりと勤めを果たしていなければ、檀家さんや支援者さんからお供え物をいただくことはできません。私たちはそれをいただけるからこそ、『おすそわけ』ができる。そういう意味では、支援活動をつづけるというのは、僧侶が改めて襟を正しお供え物をいただけるお寺でありつづける覚悟を持つということと同義なのです」
松島氏は一貫してこの姿勢を保ちつづけてきた。おてらおやつクラブを創ったからそうしているのではなく、彼の姿勢の延長線におてらおやつクラブが誕生したと言っていい。
それを物語るエピソードがある。
今から4年ほど前、お寺にある女性から相談が寄せられた。活動を始めるきっかけとなった事件で亡くなった母子の親族の方から、手元にある遺骨の相談だった。
まだしばらくは手元においておきたいとのことだったが、松島氏は驚きを隠せなかった。大阪で餓死した母子の遺族が、おてらおやつクラブの活動を知り、遺骨を預けたいと思ってくれているのだ。活動を続けているが、母子餓死事件のような悲劇は今も繰り返されている。自分たちの活動に果たして意味があるのだろうか? と無力感を覚えるときもある。そんな中での思いがけない出来事だった。
親族の方がどのような思いで連絡をくださったのかはわからない。ただ、この活動が広がり、多くの家庭につながっていることに、何らかの思いを寄せてくださったことは確かだろう。そのように共鳴する人が一人でもいる限り、おてらおやつクラブの活動はつづいていくにちがいない。

おてらおやつクラブでは、「届けたいのに、届けられない。おすそわけを『続ける仕組み』をつくりたい」をテーマに、5月7日から6月30日までクラウドファンディングを実施します。
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プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『蛍の森』『43回の殺意』『近親殺人』(新潮社)、『物乞う仏陀』『アジアにこぼれた涙』『本当の貧困の話をしよう』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)など多数。その他、『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。』(ポプラ社)、『みんなのチャンス』(少年写真新聞社)など児童書も数多く手掛けている。最新刊に『少子化に打ち勝った保育園─熊本「やまなみこども園」で起きた奇跡─』(新潮社)。





