栄福の時代を目指して(11)〈後編〉 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

ポピュリズム勃興の原因――分析と古典的洞察

核武装を容認するような危険な潮流が拡大しないためには、何が必要なのだろうか。私は、現在、ポジティブ政治心理学の観点から、ポピュリズムに焦点を当てて、参議院選挙を分析している(進行中)。独自の調査によって、おそらく物価上昇や生活難のために、日本人のウェルビーイング(幸福感)が昨年から下降していることがわかった。そして、ウェルビーイングの低い人たちが左右両極のポピュリズム政党を支持する傾向が高いということが判明した。与党や、立憲民主党、日本維新の会は比較的ウェルビーイングの高い人たちが支持する傾向があるので、この結果、改選議席に関して、これらの政党は敗北ないし沈滞し、逆に参政党や国民民主党が伸張し、日本保守党は議席を得て、れいわ新選組が微増したわけだ。

前編で述べたように物価高はアベノミクスの帰結だから、やはり安倍政治の帰結がポピュリズムの台頭を招いたことになる。ちょうど、アメリカの経済的停滞が、トランプ政権の誕生を招いたのと同じだ。

よって、やはり人々のウェルビーイングを向上させることが、ポピュリズムへの潮流を逆転させるためには必要だ。つまり、この連載のテーマ『栄福』を実現させていくための努力が、今までに増して必要なのである。

ポピュリズムの把握と考察は、今後の政治を考える上で最重要なテーマの一つだ。以下では、即礼君の物語として、古典的哲学の洞察を紹介しよう。

◆ ◇ ◆

即礼君は、アメリカの「ノー・キングス」大抗議デモに触発されて、プラトンの『国家』第8巻における民衆政から僭主(せんしゅ)政への議論(555B―569C)を読み直した。

この書物で、ソクラテスは、寡頭政から民衆政への変化を次のように説明している。

――富や金儲(もう)けを追求する寡頭政は人々を貧困に追い込み、金持ちが貧乏人を無視したり、元金の何倍もの利子を取り立てたりする。金持ちに対して人々は憎しみを抱いて、陰謀や革命を企(たくら)むようになる。他方で寡頭層の子どもたちは快楽や苦労に対しての抵抗力がなく軟弱になるから、外部からの刺激や、内部分裂によって内乱が起こり、民衆政へと移行する。

その国制では、人々は自由であり、思い通りに行うことが放任されており、言論の自由があって自分の気に入る生活ができて、多種多様な人間が生まれる。これは、彩り豊かな美しい国制であり、その暮らし方は快く、無政府的で、平等を与える。その中の人間は、パンやおかずへの欲望のように生産的な「必要な欲望」だけではなく、快楽と消費的な「不必要な欲望」に支配されている。

そして、まやかしの言論により、「傲慢(ごうまん)」「無統制」「浪費」「無恥」のそれぞれを「育ちの良さ」「自由」「度量の大きさ」「勇敢」と美名で呼んで、青年たちの魂を占有し、「必要にして無益の快楽」を「自由に解放」していく。青年たちは、その時々の欲望を満足させて日々を過ごし、秩序や必然性がなく生活を「快く、自由で、幸福な生活」と呼んで過ごす。このような「民衆政的な人間」は、その国家同様に「美しくも多彩な人間」である――

ここを読み返して、即礼君は、アメリカが「自由の国」と呼ばれていて、資本主義的な市場経済が発達し、それは欲望を満足させる消費社会とも形容されていることを思い出した。アメリカこそは、「幸福を追求する自由」が最高に保障されている国とされている――。そう思って読み進むと、

――このような「必要以上に強い自由の酒」に酔わされて、極限に至り、「無政府状態」になり、たとえば先生が生徒を恐れてご機嫌を取って生徒が先生を軽蔑したり、若者が年長者と張り合って年長者が若者たちに機知や冗談で調子を合わせるようになったり、男女が平等で自由になる。すると、何事においても度が過ぎると反動が起こるように、過度の自由は過度の隷属(れいぞく)状態に変化し、最高度の自由からは、もっとも野蛮な最高度の隷属が生まれてくる――

「アメリカは自由とともに、男女平等が進んだ先進的社会だ。でも、そう言えば、トランプはDEI(Diversity=多様性・Equity=公正・Inclusion=包摂)を批判し、大統領就任直後にそのプログラムを中止させていたな。そのDは「多様性」を意味するけれども、ここでいう「多種多様」な「美しい」社会なのかもしれない。となると、トランプ政権は、ここでいう「もっとも野蛮な最高度の隷属」に相当するのかも。でも、どうして、そうなってしまうのだろう?」

即令君は続けてページをめくった。

――指導者たちは「持てる階層」(金持ち階級)たちから財産を取り上げて民衆に分配し、民衆は一人の人を先頭に押し立てて養い育てる。その民衆指導者は、負債の切り捨てや土地の再分配などの理由で、「持てる階層」の敵対者との争いが激しくなると、「民衆の守り手」として、自分の身を守る護衛隊を民衆に要求し、敵を倒すと、民衆の指導者たることを止めて僭主(独裁者)になってしまう――

やはり背景には、人々の生活苦や貧困がある。トランプ派は、民主党のリベラル派に責任があるとして、既得権益の「エリート」と攻撃した。そして、没落した人々に訴え、「アメリカを再び偉大に(MAGA)」という標語のもとで、生活難に喘(あえ)ぐ人々の擁護者として人気を獲得している――。「こういう解説を聞いたことがある」と思い、ソクラテスの言と相似していると気づいた。

「護衛隊?」

この言葉を見た時に、彼の脳裏に浮かんできたのは、トランプ大統領が州兵をロサンゼルスに派遣したというニュース(第8回参照)、そして「ノー・キングス」抗議デモの日に行われていた首都での軍事パレード(第9回)だった。

続いてソクラテスが語るのが、先ほど注意を引いた、僭主は戦争を引き起こすという議論である(前回第9回)。

――人々が謀反を企めなくしたり、自由な考えを持つ者が支配を妨害しないように消してしまったりするための口実を得ようと、僭主は「たえず戦乱の状態を作り出さざるを得ない」のであり、彼をとがめる人たちを全て排除せざるを得ない。こうなってから民衆が腹を立てて僭主たちに退去を命じても、暴力を用いる。つまり、民衆は「自由人への隷属という煙を逃れようとして、奴隷たちの専制支配という火の中に落ち込んでしまった」ことになり、「豊富で度外れの自由の代わりに、いまや最も厳しく、最も辛い、奴隷たちへの隷属という仕着せを身に纏(まと)う」ことになってしまうのである――

トランプ大統領が州兵を派遣したのは、もっとも民主党が強力で有力な政治家のいるカリフォルニア州である。その知事(ギャビン・ニューサム氏)は、トランプ政権に対して鋭く反発し、民主党の次期大統領選候補として浮上しつつある。だから、そういった抵抗勢力を威圧する意図もあって、州知事管轄下の州兵を大統領権限で派遣したのかもしれない。即礼君は、まさに「隷属」状態に陥る危険を察知した人々が、王政反対の大規模デモへと集結したということに思い至った。

「となると、この記述は、ポピュリズムと言われている現象と似ているのではないか?」

即礼君は、トランプ大統領が右派ポピュリズムの典型例とされていることを思い出し、改めてネットで調べてみた。アメリカだけではなく、ヨーロッパでも似たような政治が勢威を振るっていて、こう呼ばれていることがわかった。考えてみると、今の日本にも、多かれ少なかれ同類と思えるような、良識を欠いた政治家や政党があるような気がした(前連載第88回)。

「とすると、ソクラテスの語る議論は、今で言えばポピュリズムの勃興を予見していることにもなるのではないか。ポピュリズムは、既得権益を持っているエリート層を『彼ら』として敵視し、『我ら』の人々を守ると称して人気を獲得する潮流だから、『大衆迎合主義』と批判的に呼ばれることもあるようだ。そして、この中から、ヒトラーのようなファシズムや独裁が生まれてくると警戒されているのだった」

こう思った時、古代ギリシャにおけるプラトンの哲学的認識が、時空を超えて自分の中に甦(よみがえ)るような感触が沸き起こった。アテネ民衆政の没落と、まさに構造的に同じ現象が、第2次世界大戦を引き起こしたドイツで、そして今日のアメリカに起こっているのではないか――ここには歴史の動態そのものにおけるフラクタル構造があるように思えた。

この見方は、思想史において彼が直観したもの(第8回)だが、今や歴史そのものにおいても同じ構造が観(み)えた。古代アテネの盛衰、戦前ドイツの悪夢、今のアメリカにおける民主主義の危機、そしておそらく日本における危機――これらにおける共通の構造が、走馬灯のように動く歴史の変転の中で浮かび上がり、彼にはビジョンとして、言葉通り本当に「観えた」のである。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院社会科学研究院長、千葉大学公共研究センター長で、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘(しょうへい)教授兼任。専門は公共哲学、政治哲学、比較政治。2010年に放送されたNHK「ハーバード白熱教室」の解説を務め、日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。日本ポジティブサイコロジー医学会理事でもあり、ポジティブ心理学に関しては、公共哲学と心理学との学際的な研究が国際的な反響を呼んでいる。著書に『サンデルの政治哲学』(平凡社新書)、『アリストテレスの人生相談』(講談社)、『神社と政治』(角川新書)、『武器となる思想』(光文社新書)、『ポジティブ心理学――科学的メンタル・ウェルネス入門』(講談社)など。