『現代を見つめて』(11) 文・石井光太(作家)

登校できない子のために

今、日本では12万人の小・中学生が不登校になっているとされている。その中で、フリースクールがスポットを浴びている。主に不登校の生徒が通う施設だ。

学校に行けないのに、なぜフリースクールなら行けるのか。都内のフリースクールの職員は言う。

「うちの生徒の多くは発達障害です。一つのことにこだわりすぎて他のことに目がいかなかったり、いろんなことに気が散って勉強に取り組めなかったりする。人間関係もうまくいかない。それで苦しくなって不登校になってしまうんです」

ここ十年ほどで、発達障害という言葉が急激に広まった。自閉症スペクトラム、注意欠如多動性障害、アスペルガー症候群などだ。文部科学省の調べでは、現在の小・中学生の6~7%がそれにあたるという。

フリースクールでは、そういう子供たちにどう接しているのか。先の職員は言う。

「私たちは、生徒たちに発達障害は短所ではなく、いい意味での個性だと考えさせています。『一つのことに集中できない』のではなく、『たくさんのことをやれる』。『物事に執着しすぎる』ではなく『集中して一つのことをできる』。そうやって自分の特性をいい形に転化させてあげるのです」

それを聞いて、ふと最近ベストセラーになっている堀江貴文の『多動力』という本のタイトルを思い出した。「多動性」と言えば障害になるが、「多動力」と言い換えれば素晴らしい個性になる。

事実、フリースクールの卒業生の中には、自閉症スペクトラムの特性を活かして伝統工芸の職人になったり、優秀なプログラマーになったりした人もいるそうだ。考え方一つでデメリットはメリットになる。

ここまで書いていて思い出した。以前、90歳近い医師に、こんなことを言われた。

「昔も発達障害の子はいましたよ。けど、学校は今ほど学力重視じゃなかったし、中卒でも皿洗いや出前など、あまり人に接しなくてもできる仕事がたくさんあった。だから、彼らも社会で生きていけたんです」

日本の社会は発展するにつれ、価値観が狭まりつつあるのかもしれない。だから、それに入れない人々は居場所を見失って生きづらくなる。

発達障害の概念がいけないと言うつもりはない。ただ、「~障害」「~症候群」と呼んで否定的に捉えるのではなく、いい意味での個性として考えることのできる社会を築いていく必要はあるだろう。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)など著書多数。近著に『世界の産声に耳を澄ます』(朝日新聞出版)、『砂漠の影絵』(光文社)がある。