利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(4) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

孔子も仏陀も対話を通して教えを説いた

もっとも、「対話」にあまり多くの価値を認めない宗教もありうる。教えを説くことを中心に考える場合だ。その内容に共鳴する人だけが集まるのならば、信者たちは価値観・世界観を基本的には共有していることになる。その中で、もし一方的に説法するだけならば、必ずしも「対話」は必要ないかもしれない。対話は二人以上の人々がお互いに話し、言葉のキャッチボールをすることを意味しているからだ。教えを聞く人々も自分の意見を述べ、それに対して答えや応答があり、双方向のコミュニケーションが続いていく。これでこそ「対話」だ。このような双方向の語り合いの場があるときには、「対話」が重視されていることになる。

世界的な思想的古典や大宗教の聖典などでは、とても大事な対話が記録されている。西洋哲学は、ソクラテスと人々の問答を原点にしている。キリスト教の聖書や儒教の『論語』もそうだ。「子曰く…」というように、『論語』の多くは、孔子と弟子たちとの「対話」における発言である。

仏典でも仏陀(ブッダ)とのさまざまな対話や問答が記録されている。仏陀は、さまざまな状況に置かれている人々に対して臨機応変に法を説いたから、対機説法と言われている。相手は深く法を知っているわけではないことも多い。つまり、価値観・世界観の違う人々に対し、その考え方や発言に応じて対話を行ったわけだ。

世界観を共有している教団内部で説くときには、より深く説き明かして人々の理解を深めさせようとする。そのために対話は有意義だろう。さらに、教団外部の人々に説いてこそ、教えは広がる。世界観を共にしていない人々は、聞いてもさまざまな感想や疑問を抱くから、その質問や問いに応答することが必要になる。そのためには、一層「対話」が必要不可欠なのだ。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。