栄福の時代を目指して(5) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

史的唯物論者との問答
次にSは、左翼政党の勉強会に出向いていって、史的唯物論を講義している情熱的なマルクス主義者に対して質問する。
※史的唯物論(唯物論的歴史観)とは、マルクス主義の歴史観である。生産力の発展にあわせて生産に関する仕組み(生産関係)が変わっていくから、物質的な経済の基礎構造(下部構造)が土台であり、その変化が社会、政治、法律、文化、哲学、宗教や人々の意識など(上部構造)を規定すると考える
S「先生はどうして、物質的な経済が歴史的発展の究極の原動力だと考えるのですか?」
その講師は、なぜそのような当たり前のことを聞くのかというような侮蔑の表情を浮かべながら、「君、19世紀の哲学者フォイエルバッハを読みたまえ。彼が言っているように、人間が人類としての本質を投影して神を考え出したのだから、神とは要するに人間のことなのだ。よって、歴史の推進力は、物質的条件の総和なのだよ」と答える。
S「先生が言われているのは、神や歴史をそのように解釈できるということでしょう? 神が存在しないという証明にはなっていないのではありませんか?」
講師「いや、調べてみれば、原始共産制・古代奴隷制・中世封建制・近代資本主義といったような歴史の社会的発展は経済的要因によってもたらされているのだよ」
S「でも、今のパレスチナ問題をはじめイスラーム世界における紛争を見れば、宗教も世界的事件の重要な要因になっているではありませんか?」
講師「いやいや、私も宗教や文化が政治に影響することがあることは否定していないし、実際に経済的要因と文化的要因には相互作用がある。ルイ・アルチュセールというフランスの思想家が言ったように、20世紀の新しいマルクス主義(ネオ・マルクス主義)では、歴史は、いろいろな要因が重なり合って決定される(重層的決定)と考えるのだ。でも、世界の紛争の基底に貧困問題があるように、その時にもっとも支配的な要因(最終審級)を決めるのは経済なのだ」
Sが「なぜ、宗教や文化にも大きな影響力があるのに、経済が最終的に歴史の動向を決めると断言できるのですか?」と重ねて問うと、講師は「…君、それは歴史を全体として見れば、様々な要因から矛盾が現れて歴史が動くという因果関係(構造的因果性)がわかるのだよ」と言い、他の参加者の方を向いて「では、テキストに戻って、世界の貧困問題を考えましょう」と講義を再開する。
現代における「無知の知」(不知の自覚)
さて、Sは、これらの問答を終えて自室に戻り、対話を思い出しながら考える。
――あの科学者は、とても知性に溢(あふ)れた高潔な人物だし、講師は、世界の貧困問題を解決しようという誠意に満ちていた。2人とも、人格的に素晴らしいことは疑いようがない。でも、突き詰めて問いを深めていくと、答えに詰まって対話を止めてしまう。
してみると、2人とも、自分たちが学んだりつくり上げたりした世界の中で考えていて、知者のように振る舞い、周囲の人もそのように見なしているのではないだろうか。科学者は、自分の科学的探究に支えられながら、世界を物質だけで解釈できるという観念の世界に住んでいる。講師も、社会的関心に支えられながら、歴史を物質だけで解釈できるという思考の世界にいる。2人とも、いわば公理の世界をつくり上げ、その中から世界を解釈しているのかもしれない。
※公理とは、自明かどうかは別にして、理論の前提となる仮定である。数学では、論証なしに真と仮定し、その最も基本的な仮定から他の命題を導き出す
でも、公理の根拠を尋ねると、確たる答えがない。つまり、数学の場合と同じように、論証はないのだ。だから、唯物論や史的唯物論は、論証がない基本的な仮定(いわば唯物公理)に基づいて成り立っている理論なのだろう。でも、2人は、そのことを自覚していない。
それに対して、私は、世界の真の本質や、歴史の動因について確たることを知らない。だからこそ、あの2人に会いに行って尋ねたのだ。でも、2人の答え方を見ると、つくり上げた公理の世界に確実な根拠がないことを自覚していないから、自分たちが究極的なことは知らないことを知らないのだ。これに対し、私は、自分が究極的な事柄を知らないことを自覚している。とすれば、知らないという不知を自覚している点において、自分の方が2人よりも賢いのかもしれない――。
となると、Sは、巫女が伝えた神託にまだ反駁(はんばく)できないことになる。彼は、さらに真理の探究を続けようと思うのだった。
……この「無知の知」(不知の自覚)は、哲学的探究における知的な謙虚さを表す原理だ。逆に、科学主義には知的な傲慢(ごうまん)さが漂う。哲学徒Sは、謙虚な探究によって初めて哲学者となり得るのである。
このような仮想的な物語を見て、読者の皆様はどの人に共感されるだろうか。サンデルの白熱教室が話題になっていた頃、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(岩崎夏海、ダイヤモンド社、2009年)という本がベストセラーになり、NHKのEテレでアニメが放送された(2011年度)。そのような感覚でもし面白く読めれば、哲学徒Sには、今後も登場してもらうことにしたい(※)。即令君とでも命名しておこうか。
(※)似た趣向の文章として、小林正弥「もしビジネスリーダーがアリストテレスを読んだら?」『ITmedia ビジネスONLINE』2015年12月17日付
プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院社会科学研究院長、千葉大学公共研究センター長で、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘(しょうへい)教授兼任。専門は公共哲学、政治哲学、比較政治。2010年に放送されたNHK「ハーバード白熱教室」の解説を務め、日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。日本ポジティブサイコロジー医学会理事でもあり、ポジティブ心理学に関しては、公共哲学と心理学との学際的な研究が国際的な反響を呼んでいる。著書に『サンデルの政治哲学』(平凡社新書)、『アリストテレスの人生相談』(講談社)、『神社と政治』(角川新書)、『武器となる思想』(光文社新書)、『ポジティブ心理学――科学的メンタル・ウェルネス入門』(講談社)』など。
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◇利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割
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