食から見た現代(12) 夜のフードパントリー〈前編〉  文・石井光太(作家)

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2024年8月の灼熱(しゃくねつ)の陽の下、埼玉県の東川口駅からほど近い築120年の古民家「もっこう館」には、20~30代の女性たちが続々と集まっていた。ある女性は幼い子どもの手をつなぎ、ある女性は溢(あふ)れる汗をハンカチで拭いながら建物の中に吸い込まれていく。

この施設で開催されていたのは、任意団体「ハピママメーカープロジェクト」によるフードパントリー(無料食料支援)だった。同種の活動は日本各地で行われているが、ここが特徴的なのは、水商売や売春といった夜の仕事に従事する女性たちを主な支援対象にしている点だ。

夜の仕事といえば、短時間で高収入を得られるようなイメージがあるかもしれない。それがなぜ、食料支援を求めて多数の女性が炎天下の中を東川口まで集まってくるのか。

夜の街で起きている状況について、同団体の代表理事の石川菜摘氏に話を聞いた。
 

石川氏は現在、33歳だ。千葉県で生まれ育った後、大学入学と同時に上京し、現在は同団体の活動拠点である川口市に移り住んでいる。ここ数年は先頭に立って支援活動に集まる女性たちと接してきた。

彼女は夜の街の現状について次のように述べる。

「コロナ禍を経たことで、最近の水商売や風俗の世界はかなり変わったと思います。昔ほど高い収入が得られるような職業ではなくなりつつあるのです。人によっては丸一日出勤しても、まったくお客さんがつかないということも起きている。こうした傾向はどんどん悪化していて、風俗などで働く女性たちのメンタルにも大きな影響を与えています」

ハピママメーカープロジェクトが設立されたのは、コロナ禍の2020年のことだった。

政府が感染拡大に伴って4月から緊急事態宣言を出したことによって、日本の夜の街は一変した。店舗が営業休止を余儀なくされただけでなく、身体的な接触を伴うサービスが感染拡大を引き起こしているとして、世間から批判の集中砲火を浴びたのである。

水商売や風俗の業界は、ただでさえ一般企業に比べれば福利厚生の意識に乏しい。そこにコロナ禍が追い打ちをかけたことによって、大勢の女性たちが公的支援を受けられないまま収入を失い、生活に困窮するようになった。

こうした女性の支援に立ち上がった一人が、夜の街で働いていた石川氏だった。彼女は大学進学と同時に家を出たものの、ずっと経済的に厳しい状況に置かれており、夜の仕事をはじめた。大学卒業後も精神疾患等によって昼間の仕事が思うようにできなかったこともあって、その世界からなかなか離れることができなかった。

新型コロナが流行する1年ほど前、石川氏がたまたま参加したのが都内にある子ども食堂のボランティア活動だった。幼少期の家庭の食卓に良い思い出がなかったり、18歳で一人暮らしをはじめてから食べ物に困ったりしたことから、漠然と子どもたちを食の面から支えたいという思いがあり、知人の紹介で空いた時間でボランティアをはじめたのである。

日本にコロナ禍が襲い掛かったのは、それから少ししてからだった。石川氏は、自身も夜の仕事を失い、周りの知人が生活に困っているのを目の当たりにした。彼女は次のように考えた。

――キャバクラや風俗で働く女の子たちがみんな困っている。特に子どものいるシングルマザーは、子育てのことで先が見えない状況に陥っている。これまで子ども食堂でやってきたことを、夜の仕事をしている女性の支援に転用できないだろうか。

石川氏は、少し前からこども食堂ネットワークを通して支援の専門家と親交を持っていた。彼らに相談したところ、次々と力になってくれるという人が現れ、組織作りの方法や、フードパントリーのノウハウを教えてくれた。石川氏はそうした人たちに支えられて今回のプロジェクトを立ち上げたのである。

彼女は言う。

「プロジェクトをはじめるにあたって選んだのが、埼玉県の川口という地域でした。ここは風俗店などがたくさんある上に、電車を利用すれば30分以内で大宮、池袋、新宿、上野といった歓楽街へ働きに行くことができます。そして埼玉県ということで東京に比べると賃料が安く、経済的に厳しい状況にある女性が暮らしている割合が高い。そうしたことが支援の場として適しているのではないかと考えたのです。実際にプロジェクトをはじめてみて、予想は的中しました」