栄福の時代を目指して(1) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

学問的エッセー――学問と芸術の架橋という夢

「利害を超えて現代と向き合う」最終回に書いたように、8月の父逝去を契機に自分の人生の来し方行く末を省みたので、心機一転してタイトルを更新し、新しい内容も加えて執筆することになった。編集部が調べたところ、2017年3月以来、毎月連載してきた寄稿は90回に及んでおり、ちょうど良い区切りでもある。そこで今回は、〈総選挙が急に行われることになって政治についても書きたくはあるものの〉この新連載の内容について説明したい。
※総選挙に関しては、「利害を超えて現代と向き合う」の第8184回などを参照

これまでは、学問的根拠に基づいた客観的な叙述を心がけてきた。これは、学者の習いであり、その存在意義でもある。でも、学問的な証明・説明の困難な事柄について述べることができないので、多くの読者にとっては内容がわかりにくく、親しみを持ちにくいという難点がある。父の死という私的な事柄に関してエッセー風の叙述をしてみて、このような書き方は一般読者にはわかりやすいかもしれないという利点を感じた。

第90回の「利害を超えて現代と向き合う」で、私が研究者を志した際の父との会話を紹介したが、中学校や高校の頃は小説が好きだったので、作家に憧れていた。でも、私が愛読していたロマン・ロランや武者小路実篤、下村湖人などの理想主義的な作品とは違って、まさに「現代」という時代の退廃を反映しているように思える小説が芥川賞などを取って脚光を浴びていた。そこで自分の志向は小説家には向かないと思って、父にならって研究者を志望したのである。そして20代の後半には、実家や近辺の区民会館などで小さな研究会を催しながら、学問的内容と芸術的形式を連携させた「学問的芸術」という夢を語っていた。過去を回想する中で、「学問詩」という表現を作り出して、詩的な形式で学問的内容を述べようとしていたことも思い出した。

そこでこの新連載では、学者としての禁欲的姿勢を少し和らげて、エッセー風の叙述も入れ、私が見聞した身近な出来事にも言及していくことにしたい。いわば「学問的エッセー」である。従来は、たとえば選挙やウェルビーイング(幸福感)の分析において、データや数字を挙げて客観的な内容にするように努めてきたが、今後は主観的な表現も入れて、学問と芸術の架橋という当時の夢を追求してみよう。

幸せを実現する思想と現実的分析――人文学と社会科学の包括的展開

これは内容上の革新と連動する。前寄稿の最終回に書いたように、学問には、不可視の超越的世界の存在を問い、それを前提とするような根本的学問と、そこには立ち入らずに可視的な現実世界の考察や分析にとどめる現実的学問がある。今の政治学や経済学には後者が多いのに対し、前者に挑むのはたいてい哲学や倫理学をはじめとして思想と呼ばれることが多い。私自身には前者の関心もあるので「政治哲学」や「公共哲学」を研究しているが、その中でも前者を対象から除外して後者を中心にするものが主流だ。

これまでの連載では、政治経済などの時事的な主題に即して、主として後者に限定して論じてきた。しかし自分が学問を志した根本的動機である「人々が幸せになる世界の実現」が甦(よみがえ)ってきた今、前者も射程に入れて双方を論じてゆくことにしたい。学問的分類でいえば、政治経済学や社会学などの社会科学に加えて、哲学・倫理学などの人文学も入れて述べていくということである。

若年時、社会科学全般とともに、哲学・倫理学などの人文学の書籍も相当読んだ。これは、いわゆる一般教養に相当することになるが、実家に置いてある夥(おびただ)しい書籍を父の死後に改めて見ると、これまで社会科学の研究をしてきたので、人文学の素養はあまり活用していないことに気づいた。後者についても独自の学問的展開をして、人文学の基礎の上に体系的に新しい社会科学を築くというのが当時の夢だったのである。今の時代ではこのような包括的展開は至難の業だから、青年特有の客気であり、素朴な「野心」とすら言えるだろう。

でも、哲学的・思想的な礎石の上に、今日の人文学と社会科学に相当する主題をともに展開するというのが、ギリシャ哲学以来の包括的な哲学の試みてきたところでもある。この根本的な理想が再生した今、新しい学問的地平においてそれに挑戦していきたい。

とはいっても、哲学や倫理学を包括的に展開するのは、当然、多くの時間を要する大仕事だ。緻密に体系的に展開することを今後の遠大な課題としつつ、この連載では、必要に応じてそのエッセンスをわかりやすく適宜述べていくことにしたい。体系的構想からすれば、部分的な先出しのようなものになるものの、この連載の読者には宗教的関心の強い人が多いだろうから、興味深いものになるのではないかと期待したい。

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