食から見た現代(10) 付き添いベッドで食べるディナー〈前編〉 文・石井光太(作家)
東京の歌舞伎座の周辺は、昔から銀座の観光地の一つとして知られたところだ。東銀座駅の改札口を出てすぐのスペースにはお土産店が所狭しと並んでおり、国内外の観光客で溢(あふ)れ返っている。
歌舞伎座の周辺には、かしこまった立派なビルが集まっているが、その中に少し古い雑居ビルがある。エレベーターがなく、人が一人やっと通れるような狭い階段には荷物が積まれ、壁は汚れてくすんでいる。
今回、私が目指していたのは、このビルの4階に入っている認定NPO法人「キープ・ママ・スマイリング」のオフィスだった。難病などで入院をする子どもを持つ親の支援活動を展開する団体である。
ドアを開けると、二間の部屋はビルのテナントというより、2DKのアパートの和室のような雰囲気だった。この法人を応援しているビルのオーナーが、格安で貸してくれているのだそうだ。
玄関から廊下まで、かわいらしいイラストが描かれた水色の段ボールが山積みになっていた。迎えてくれた理事長の光原ゆき氏(50歳)は話す。
「これ、うちの『付き添い生活応援パック』なんです。子どもが難病などで入院治療が必要だと判明すると、親は何を準備すればいいのかわからないまま、病室に子どもと一緒に泊まり、闘病の付き添いをしなければならなくなります。そんな親に、必要な物資をまとめてお送りしているのです」
この段ボールを、全国の難病の子どもに付き添う親に向けて月に200~300個送っているという。その数は毎日数十個に及ぶため、オフィスが段ボールだらけになるのは当然だ。逆に言えば、それだけ日本には、ある日突然入院が決まった子どもと、それに付き添わなければならない親がいるということなのである――。
オフィスのテーブルで、私は光原氏に話を聞くことにした。
光原氏は国立大学を卒業後、大手企業に入社し、長らく第一線で活躍してきた女性だ。そのためか、NPO法人というより、実業家のように理路整然とした話し方をするが、人柄はいたって温和だ。
彼女は言う。
「私たちが支援している親は、子どもの病気がわかった途端に、それまでとはまったく違った生活を送ることになるのです。親によっては、診断を受けたその日から付き添いがはじまることもあります。そして、それまで思い描いていたキャリアも含めたプランが一気に壊れていくのです」
多くの病院では、小学生以下の子どもが重い病気で入院することになった場合、親に付き添いを求めることがある。親は子どものベッドの横に簡易ベッドを置いて寝泊まりし、毎日の検査から治療まであらゆることに同行する。
この間の親の生活は非常に厳しいものだ。ベッドは寝返りできないほど狭く、マットレスも硬い。隣の入院患者とはカーテン一枚しか隔たりがなく、そこに別の親子が寝ているので、プライバシーはないに等しい。買い物や食事も、わずかな時間の合間に院内のコンビニへ行って商品を買うことくらいしかできず、入浴や洗濯すらままならないのが現状だ。一人の時間を持てるのは夜に子どもが寝静まった後だが、院内では自由に歩き回ることもできず、イヤホンをつけて有料のテレビを見るか、音楽を聴くかするしかない。
また、付き添い中は家に残した家族とも疎遠になる。配偶者は普段以上に仕事や家事に追われることになるし、別の子どもは放ったらかしにされやすい。小児病棟には感染症予防のために子どもの立ち入りが禁じられているので、お見舞いに来ることもかなわないのだ。
子どもの入院理由が怪我(けが)であれば、治療期間には一定の目途がつくが、小児がんなどの難病の場合は、治療にどれだけの年月を要するのかわからない。その間、先の見えない闘病生活が延々とつづくため、付き添う親だけでなく、家族全員の精神的負担は途方もなく大きい。
本来の医療制度において、入院中の子どものサポートは看護師らの業務とされている。では、なぜ親が入院に付き添い、その仕事を代行しなければならないのか。
光原氏は説明する。
「病院で看護師をどこにどれだけ配置するかは、診療報酬をベースに決められているのですが、小さな子の看病には大きな労力がかかるので、現実的には決められている人数ではできることに限りがあるのです。もしそれ以上の看護師を配置しようとすれば、補助金をもらうか、病院が赤字覚悟でやるかするしかないのですが、それができる病院は一握りです。
こうなると、病院の看護師だけでは、入院中の子どもに適切なケアをすることができないことになります。実際に大学病院などへ行っていただければわかりますが、看護師さんはものすごい忙しさで声をかけることすら憚(はばか)られるほどです。親にしてみれば、そうした事情も痛いほどわかるので、無理をしてでも自分が付き添って子どもの看病をするということになるのです」