利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(90)最終回 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

人間を幸福にする学問は何か――経済と政治と哲学

30年前よりもさらに15年間遡(さかのぼ)って、私の中高校生時代における回想も浮かんできた。当時、自分は幸福であると考えて、将来、社会で人々の幸福を増進する仕事をしたいと考えた。そして経済学者だった父の影響もあって、私は大学で社会科学を学ぶことを考えるようになった。

ある時、父に、人間の幸福にもっともつながる学問は何だろうかと尋ねた。それに対し、驚いたことに、“戦後の学問の風潮で自分は経済がもっとも影響を与えると考えて、経済学を研究した。しかし、それを通じて、実は政治の方が大事だと考えるようになった”と父は答えたのである。確かに父が家庭内で話している時事的内容は、経済よりも政治の方が多かったし、各種メディアに掲載されたインタビューでも政治的発言が相当多かったのである。

この返答は、前回で言及した史的唯物論と関連している。素朴なマルクス主義では、物質を扱う経済(下部構造)が政治や思想(上部構造)を規定すると考えられていた。当時はこの考え方が学界で大きな影響力を持っていたので、父は経済学を学んだ。ところが、この考え方は間違えていると考えるようになり、政治の重要性に注目するようになったというわけである。そこで私は、政治学を専門的に学ぶことが可能な学部に入学した。父と同じ学問分野を専攻したくはないという気持ちがあった上に、この考え方も参考にして、政治学に惹(ひ)かれたのである。

しかし、大学で政治学を学びつつ、政治が重要なのは確かだが、政治や経済の基礎となるものとして人間の生き方があり、人間が幸福になるためには宗教や哲学・思想が大切ではないかという問題意識が生まれた。それ故、これらの領域の読書や考察も行うようになったのである。この双方の関心が、今の政治哲学の研究へとつながっていく。

学問における根本的二者択一

これらの領域の本を渉猟する内に、大雑把(おおざっぱ)に言えば、哲学や思想は二つに分けられると思うようになった。一つは、古典古代や中世の哲学のように、キリスト教をはじめ、超越的世界の実在を前提とする思想と、それを否定したり学問の領域外に置こうとしたりする思想である。父が研究を開始したマルクス主義の唯物論は、後者に属する。

このどちらが正しく、どちらが人間の幸福を増進させることができるのか? これは、学問における根本的な問いだ。この問いは、ほとんどの学問に通底している。この根本的な判断や決定なしに深い学問を展開することは困難だ。――当時の私はそのように考えた。この態度決定を行うための探究が、私の知的な原点でもある。

実際には、この二者択一は絶対的なものではなく、さまざまな立場がある。それでも、これはなお最重要な問いや選択である。もっとも学問の世界では、このような問いが明示的に議論されることは少ない。あまりにも根本的で、かつ決着がつかない問題であるからだろう。

私自身もそのような学問の態様に慣れてきていた。しかし父の死についての回想は、若年時の根本的な問いを私の中に呼び起こした。これは、人類の永遠の問いでもある。私自身がこれについてこれまで正面から論じたことがあっただろうか。

答えは次のようになる。――この根本的な問いと態度決定は、私の多くの著作や論稿の背景に存在しているが、一般読者に分かりやすく明示的に書いてきたわけではない。あまりにも根本的な問いであるが故に、簡単に論じることは難しく、論争や批判を呼び起こしてしまいかねない。そこで、その問題意識は保ち暗黙裡(あんもくり)に置きつつも、それと通底する最先端の研究を行って書いてきた。

ただ、いつかは必ず到来する人生の終点をこのままで迎えていいのだろうか。父の死、そして自らの死までも含めた人生の全体を鳥瞰(ちょうかん)したときに、今後の「本来の生」においては、この問いを公共的に提起し、私自身の答えを段階的に論じていくことが必要不可欠ではなかろうか。明示的に論じずに生の終焉(しゅうえん)を迎えてしまうと、後悔することになるかもしれない。故に、残る歳月において、思惟(しい)と結論的考察を学問的ないし一般的に明らかにしていきたい。

父の死を契機にして、四十九日中における実人生の哲学的省察で、そのような思いが浮かび上がってきた。青年時には、この問いが将来の学問の原点であり、ここから新しい時代の学問体系が展開していくと夢想していた。それこそが、人々を幸福にするための学問のビジョンだった。

実家における父の善き追憶とともに、30年ぶりに私自身の学問の起点が脳裏に甦り、根本的な問題設定として再生した。それ以降の私の研究や経験を踏まえて、今日(こんにち)の学問の水準でその答えを再結晶させることは、爾後(じご)のエネルギーを傾注するに足る課題だろう。生あるうちに、この大目標の現実化に向けて、微力を尽くしていきたいものである。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院社会科学研究院長、千葉大学公共研究センター長で、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘(しょうへい)教授兼任。専門は公共哲学、政治哲学、比較政治。2010年に放送されたNHK「ハーバード白熱教室」の解説を務め、日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。日本ポジティブサイコロジー医学会理事でもあり、ポジティブ心理学に関しては、公共哲学と心理学との学際的な研究が国際的な反響を呼んでいる。著書に『サンデルの政治哲学』(平凡社新書)、『アリストテレスの人生相談』(講談社)、『神社と政治』(角川新書)、『武器となる思想』(光文社新書)、『ポジティブ心理学――科学的メンタル・ウェルネス入門』(講談社)』など。

【あわせて読みたい――関連記事】
利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割