利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(68) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
葬儀における宗教的意味
上記のような政治的問題に加えて、安倍氏国葬と旧統一教会問題が生み出している深刻な問題がある。本来、通夜や告別式のような葬儀は、宗教的なものだ。通夜や葬儀は、死者を僧侶の読経などで供養し、僧侶の引導によって、さまようことなく極楽浄土へと旅立たせるためのものだ。もちろん親族や関係者が集まって故人を偲(しの)びつつ、交流を行うという社会的意味もある。とはいえ、これらが故人の魂のための宗教的儀式だという本来の目的が忘れられてはならない。
さらに仏教では、初七日があり、四十九日の法要や埋葬がある。この期間は、故人が一人で霊的な世界へと旅立つ時だ。初七日で死者は三途(さんず)の川を渡り、正式には四十九日の間も七日ごとに審判があって、それが終わって魂の行き先が決まる。極楽浄土に行くことが理想であり、僧侶や親しい人々の回向はそれをサポートすることが目的だ。極楽浄土に行けない魂は、地獄に行くとか、地上をさまよう可能性があると信じられている。回向が少ないと、この可能性を増やしてしまうから、故人を悼む人々は、線香をあげて祈るわけだ。
実は最近、高齢の母親が亡くなり、私もこの過程にあって祈っている。不思議なことに、思いが故人の旅に向かうと、現世の仕事を積極的に行う気持ちが薄れてしまい、社会的習慣とは別に気持ちの上で、服装もなんとなく黒に近い色を選びたくなる。これは私にとって初めての体験であり、これが喪中という言葉の精神的意味なのだと思い当たった。
近年、葬式についても、宗教的な儀礼をしなかったり、散骨などの方式が広がったりしており、それを正当化する論者もいる。これは、宗教関係で依頼されて行った白熱教室などでもテーマとして議論してもらったことがあるが、宗教的観点からすると由々しき問題だろう。