現代を見つめて(73) 豊かさとは何か? 文・石井光太(作家)

豊かさとは何か?

――バナナの値上げを受け入れてほしい。

6月8日、フィリピン政府が、在日フィリピン大使館の大使を介して、そんな要望を日本の業界団体に伝えた。ウクライナ問題によって肥料代や燃料費が高騰し、コストが上昇。このままでは農家がやっていけなくなることを危惧し、フィリピン政府が直(じか)に理解を求めたのである。

日本ではフィリピン産バナナの人気は高く、国内のバナナ輸入量の七十六%を占めている。他の果物と比べて安価であり、店頭価格は一キロ当たり二百~二百五十円。驚くのは、その価格が二十年ほど変わっていないということだ。

今から四十年前、人類学者の鶴見良行は、著書『バナナと日本人』によって、日本をはじめとした先進国がフィリピンの農家からバナナを安価で買い叩(たた)いている構造や、農家の人々の間に蔓延(まんえん)する貧困の実態を辛辣(しんらつ)に描いた。同書は大きな話題となって、一時期フィリピン産バナナは搾取の象徴になった。

それから四十年、先進国の企業が途上国で行っている搾取に対して、世界的に批判の声が上がるようになり、九十年代以降は公平な取引を目指すフェアトレードの概念が広まった。ここ数年は、小中学校でもSDGsの旗の下で、公平性やサステナブル(持続可能)の重要性が教えられている。

他方でこの間、フィリピンを含めた世界の物価は上昇していたはずなのに、日本社会は搾取の象徴であるバナナの価格を変えてはこなかった。このことは、現地の人々をそれだけ長く苦しめてきたことを示す。

こうしてみると、バナナの価格の問題はウクライナ情勢による一時的なものではなく、長く続いてきた国際貿易の不公平性も大きく関わっていると考えるべきだろう。バナナ以外にも、一体どれだけ多くの商品の値段が不当に抑えられてきたことか。

――値上げはつらい。家計が苦しい。もう勘弁してほしい。

日本人の間に、そんな声が多数上がっているのは理解している。だが、海の向こうでは同じような声が何十年も上がっていたのに、無視され続けてきたのだ。

数カ月後には、店頭に並ぶバナナの価格が上がるかもしれない。その時、私たちは物価の上昇を嘆くだけでなく、これまで手にしてきた豊かさとは何かということについて、いま一度考えを巡らす必要があると思う。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)、『原爆 広島を復興させた人びと』(集英社)など著書多数。

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