『望めど、欲せず――ビジネスパーソンの心得帖』(2) 文・小倉広(経営コンサルタント)

「望めど、欲せず」とは「朝孔子、夜老子」

連載の第2回は、コーナータイトルである「望めど、欲せず」についてお話をしてみたいと思います。

ここでいう「望み」とは目標のこと。職場では、営業にしろ、内勤の事務職にしろ、誰もが目標を持っていると思います。つまり、私たちは社会人として「望み」という目標を持っているのです。

それだけではありません。私たちは幼少期に両親や学校から「きちんとした人」にならなくてはいけない、という目標も刷り込まれています。嘘(うそ)をつかない、約束を守る、人に優しく、といったそれらの目標もまた私たちにとっての「望み」となるでしょう。

さて、ここで質問です。皆さんは会社での業績目標と、両親、学校から刷り込まれた「きちんとした人」となる目標の双方を常に叶(かな)えているでしょうか? 多くの人は「できている時もあれば、できていない時もある」といった感じではないでしょうか。決して常に完全というわけではないと思います。

そんな時、多くの人は「達成できない自分はダメだ」と自己否定しているのではないか、と思います。何を隠そう、筆者自身が二度うつ病を患ったほどですから、その気持ちがよくわかるのです。

しかし、それでは、逆にうまくいかないのです。自己否定をするとエネルギーが下がります。そんなマイナスエネルギーで自分を駆り立てるのは非効率。ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいるようなもの。自動車が壊れてしまいます。

だからこそ、「望めど、欲せず」。つまり、目標は掲げ、一所懸命追いかけるけれど、それにこだわらず「欲しない」ことが必要。つまり、達成できなくてもそれを受け容(い)れ、許す、認めることが大切なのです。私はそれを「望めど、欲せず」と呼んでいるのです。

ポイントは「朝孔子、夜老子」の生き方です。「修己治人(しゅうこちじん)」の人間学と言われる「論語」、その論語に代表される儒教を説いた孔子の教えは「高い望みを持ちなさい」という厳しいリーダー論です。一方で「足るを知るの足るは、常に足る」(たくさんあるから足りるのではなく、少なくても足りるという心が大切だ、という意)という道教を広めた老子の教えは「いついかなる時も、そのままでいいんだよ」と寛容な人間学です。私は、相矛盾するように見えるその双方を同時に活用することを説いています。

朝、つまり一日の始まり、もしくは月や半期の始まりは孔子的に厳しく、高い目標を自らに課し頑張る。しかし、一日や月、半期が終わったら、たとえどんなに達成ができていなくても「それでいいんだよ。よく頑張ったね」と不完全な自分を受け容れ、そのままを認めるのです。そして、また翌日、高い目標を掲げ頑張る。これを繰り返すのです。

ポイントは、不完全な自分をそのまま無条件に受け容れること。さぼったっていい。やる気がでなくてもいい。そうしてエネルギーを高めてから翌朝、自分を再起動する。それが「望めど、欲せず」の生き方です。ぜひ試してみて下さい。

プロフィル

おぐら・ひろし 小倉広事務所代表取締役。経営コンサルタント、アドラー派の心理カウンセラーであり、現在、一般社団法人「人間塾」塾長も務める。青山学院大学卒業後、リクルートに入社し、その後、ソースネクスト常務などを経て現職。コンサルタントとしての長年の経験を基に、「コンセンサスビルディング」の技術を確立した。また、悩み深きビジネスパーソンを支えるメッセージをさまざまなメディアを通じて発信し続けている。『33歳からのルール』(明日香出版社)、『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』(ダイヤモンド社)、『比べない生き方』(KKベストセラーズ)、『僕はこうして、苦しい働き方から抜け出した。 』(WAVEポケット・シリーズ)など著書多数。