利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(36) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
正しい法に基づく政治
この経典では、四天王や仏陀(ブッダ)が続けて次のように説いている。
――媚(こ)びへつらうような人や悪を放置すると王位を失うことになるから、王はそれらを処罰し、自利と利他の精神に基づき正法によって国を治めて、人々を善に教化し、親族を優遇して偏ることなく、他人と同じように扱って公正な政治を行うべきである。そうすれば、天の存在は喜び、王を護って、気候は温順になり、甘雨が降って食物が育ち飢饉がなくなり、人々は豊かになり安楽を得ることができ、国土は安寧になる――。
この経典をしっかりと読誦すれば四天王や多くの天神たちが国土を護(まも)るとされているので、古代には朝廷が大々的に(国分寺などの)寺を造ったり、仏教の儀礼を率先して行ったりした。でも、論理的には、正法に基づく政治、つまり宗教的に正しい政治を行うことが人々の幸せや護国には必須なのである(※「正法」の理念については、島薗進『日本仏教の社会倫理――「正法」理念から考える』=岩波現代全書、2013年=参照)。
もちろんこれは、仏教の世界観に基づく思想だ。他の宗教や倫理では、それぞれの観念に即した表現があるだろう。それでも、これらには共通の本質がある。精神的・倫理的に不正で悪しき不公平な政治は、人々や国家に災いをもたらし、正しく善き公正な政治が幸せや繁栄をもたらすということだ。
正法や利他的精神により政治を行う国王は、現代では、有徳な政治家に他ならない。君主制において美徳は、何よりも王に求められたが、今なら、それに相当するのは政治家や社会のリーダーだ。そういった人々が美徳に基づいて善き政治や経済のために努めることが、必要なのである。
鎮護世界による世界的な幸福の実現
「護国」という言葉には、何やら国家主義的な語感が付きまとっているから、「鎮護国家」という表現には違和感を覚える人もいるだろう。でも、前述のような経典が説かれたのは古代のことであり、災厄を斥(しりぞ)けて、「人々や社会」の幸福、繁栄を実現しようという願いから、このような表現になったのだ。さらに、漢訳仏典では、「国家」という概念が多用されているが、原典では王国だけではなく、人々ないし国民を護るという意味が強かったのである。
今でも、国民が災いから守られることは、やはり大切だから、そのために祈り、行動するということは重要だ。「鎮護国家」に代えて「鎮護国民」と言ってもいいだろう。さらに、国境を越えて世界中の人々が幸せになるように、世界のため、その万人のために祈り、行動することも尊い。世界中における戦争や災害、苦難を鎮めて人々を守るという意味で、それは「鎮護世界」とも言えるだろう。
いわゆる先進国も含めて世界中で、目を覆いたくなるような政治が展開されている。かつての「王」に相当するような為政者たちにだけ期待することは、もはや難しい。それだけに、私たち一人ひとりが「鎮護国家」、あるいは「鎮護国民」「鎮護世界」のために祈り、行動することによって、世界と日本の平和、その安寧のために努めようではないか。
プロフィル
こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。
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