利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(28) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
すでに、私たちの住んでいる世界は変わっている
多くの識者が、かつてならこれだけ多くの失点があれば政権はその都度、崩壊に追い込まれていると指摘している。なぜなら多くのマスメディアが問題を鋭く報じて、世論が厳しくなり政権支持率が急降下したからだ。民主党政権の崩壊過程を思い出せば、分かるだろう。
ところが今はそうならない。理由は簡単だ。政権は国会をなるべく開催しないようにする一方で、テレビをはじめマスメディアに陰に陽に圧力をかけて操作しているからだ。多くのメディアは忖度(そんたく)したり迎合したりして、政権に批判的なキャスターやコメンテーター、評論家が表舞台から徐々に退いた。今では国連特別報告者がメディアに対する政権の圧力を問題にし、日本の状況に繰り返し警鐘を鳴らしている。
こうしてニュースや報道の質はかなり変わってしまった。しかし、それに気づいている国民はさほど多くない。同じ局の番組を長年見ている人は、政権に批判的な報道や論評が放送されないから今の政治に疑問をあまり感じないかもしれない。でも実際には、真実から目を逸(そ)らさせられているだけなのかもしれないのだ。
要は、私たちの住んでいる世界は、好むと好まざるとにかかわらず、「戦後の常識」からはすでに変化してしまっているのである。その大転換点は2015年の安全保障関連法(安保法)の「成立」にある。それによって平和憲法は形骸化して違憲状態が続き、民主主義も次第に形式的なものとなって、政治の私物化や専横が目立つようになった。
学問的な言葉を用いれば、「新(競争的)権威主義」への変化が始まっていると言えよう。これは、本当の自由民主主義ではなく、選挙は行うものの、そのタイミングやメディアをコントロールして与党がほとんど勝利する政治体制のことを指す。旧ソ連圏やアジアにおいてはそういう独裁政権が多々出現しているが、日本もその方向に歩みつつあるわけだ。