現代を見つめて(37) コンビニへの眼差し 文・石井光太(作家)
コンビニへの眼差し
コンビニエンスストアの二十四時間営業をめぐる本部(本社)とフランチャイズ店オーナーとの対立が引き金になり、セブン‐イレブンの社長が交代するまでの事態に発展した。
コンビニは、本部が二十四時間営業などを条件に契約を交わしたフランチャイズ店に、商品を卸すなどして利益を得る仕組みになっている。ここ数年、同業他社の出店増加、サービスの拡充、人件費の高騰、人材確保の困難などによって、一部のフランチャイズ店のオーナーが悲鳴を上げるまでに至ったのである。
先日、この問題を取材するため、複数のオーナーにインタビューをした。印象的だったのがこんな言葉だった。
「コンビニの仕事がきついというのは耐えられるんです。でも、社会の中でコンビニは底辺の仕事という位置づけなんです。あって当たり前で、何でもやってくれるし、何でも許してもらえると思っている。特にこの数年間、それがものすごく強くなってきました。それが精神的な打撃になっているんです」
客の中には、コンビニを普通の店以下に思っている人が少なくないそうだ。店のトイレを汚したままにする、店員のミスを執拗(しつよう)に罵倒する、ゴミ箱に家庭ゴミを捨てに来る、駐車場に車を止めて睡眠をとる……。
考えてほしい。こうしたことをフランス料理店や百貨店でするだろうか。そうしてみると、私たちは無意識のうちにコンビニを社会の底辺に置いているといっても過言ではないのだ。
オーナーはこう続けていた。
「二十四時間営業の問題は氷山の一角なんです。それ以上に改善していただきたいのが、社会のコンビニに対する眼差(まなざ)しなんです。それが良くなるだけで、精神的な負担はだいぶ軽くなるんです」
コンビニは社会のインフラとなりつつある。考えてみれば、公園にせよ、道路にせよ、川にせよ、私たちは社会インフラを「何をしても許される場所」のように捉えていないだろうか。
だが、コンビニ同様に、そこで働く人々は私たちと同じ社会の一員なのだ。毎朝出勤して清掃する人がいて、管理する人がいる。「あって当たり前」ではなく、「あってほしいからこそ大切にする」という考えを一人ひとりが持ち合わせたい。
プロフィル
いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)、『原爆 広島を復興させた人びと』(集英社)など著書多数。