『現代を見つめて』(36) 「縁」は志によって 文・石井光太(作家)

「縁」は志によって

四月になると、あちらこちらで初々しい新入生の姿を目にする。

幼稚園の正門の前ではしゃぎ回る新園児、桜の木の下で写真を撮る新中学生、電車でもみくちゃにされる新入社員……。

彼らはどんな経緯で今の学校や会社に入ったのかと想像してしまう。ある教師が言っていた。

「どこに進むかは縁なんだよ」

縁とは何なのだろう。

今の若人は、たくさんの情報と接しているので、物事が計算通りに進むと考えていることが多い。この大学へ行けばこれくらいの会社に入れる、この会社に入ればこれくらいの家庭を築ける。そう考えているからこそ、その幻想が壊れると、どうしていいかわからなくなってしまう。

しかし、思い通りになることなんてあるわけがない。結局は、その人が何を求めるか、何と出会うかなのだ。

その人が本気で音楽家になりたいと願っていれば、工業高校へ行ったって音楽の先生からいい影響を受けたり、行った先のコンサートで自分から声をかけてプロの音楽家やプロデューサーと親しくなったりするだろう。

会社の社長になりたいと本気で願っていれば、アルバイトや派遣で入った会社で努力を認めてくれる上司と出会ったり、事業をしたいと思っている仲間と知り合ったりするだろう。

僕だってそうだった。大学でジャーナリズムを専攻していなくても、大学を卒業後に就職をしなくても、たくさんの人や本との出会いに支えられてノンフィクション作家になった。結局は、進んだ道が正解だったということになる。

僕は「縁」とはそういうものだと思っている。

どこへ進もうとも、本人の気持ち次第で道は開ける。その道を真っすぐに進んで何かをつかんだ時、後ろをふり返れば縁があったということになるのだ。縁とは運命的なものではなく、その人の志によってつくり出されるものではないか。

桜の木の下を歩いている人たちは、いろんな不安を抱えて新しい門出に立っているにちがいない。縁があってここにいると考えるより、数年後に縁があったと思えるために、必死に物事に向き合ってほしい。

そうなれば、その人は必ず桜の下に立つ今の自分を懐かしく思えるはずだ。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)、『原爆 広島を復興させた人びと』(集英社)など著書多数。