現代を見つめて(29) 被災地に情報を 文・石井光太(作家)
被災地に情報を
北海道胆振(いぶり)東部地震が起きた日、偶然にも私は札幌のホテルに滞在していた。深夜三時八分、突如大きな振動に襲われた。ホテルはきしみながら揺れ、私は振り落とされまいとベッドにしがみつくので精一杯だった。ようやく揺れが収まったと思うと、停電によって北海道全域は闇に閉ざされた。
夜明けと同時に、私は信号が止まって大混乱に陥っている市街地を離れ、被災地へ向かった。特に厚真(あつま)町の被害が甚大だった。山という山が土砂崩れを起こして山肌をあらわにし、麓の民家は押し潰(つぶ)されて原形をとどめていなかった。カーラジオのニュースは死者を数名と報じていたが、数十名に膨れ上がることは一目瞭然だった。
町にはすでに自衛隊が救助に駆けつけていたが、驚くほど静かだった。災害を免れた住民たちが青ざめた顔で家の前に出ていたが、どうしていいかわからず右往左往しているだけなのだ。
私は何社かのラジオやテレビの中継インタビューを受けた。その際に尋ねられたのが、足りないものは何か、という質問だった。私は住民の顔を思い浮かべて答えた。
「情報による安心です」
災害が起きた直後、被災地は停電によって情報から遮断された「陸の孤島」となる。どれだけの犠牲が出たのか、他の町はどうなっているのか、余震はまだ起きるのか、親戚や友人は無事なのか。情報が遮られれば、住民たちの底知れぬ不安が煽(あお)られることになる。人々はおにぎりや毛布より、情報による安心を切望するものなのだ。
初日の取材を終えて厚真町を離れようとした。だが、道が土砂災害によって通行止めになっていた。ナビも役に立たないし、自衛隊員も抜け道を知らない。夕暮れが近づき、ガソリンが尽きかける中、私は何度も同じ道をぐるぐると回りながら先の見えぬ不安に苛(さいな)まれると同時に、住民たちはこの恐怖を何日も何週間も抱えていくのだろうと思った。
震災が起こると、物資の補給が真っ先に話題になる。無論、重要なことだ。だが、体とは別に、心の安定を保つためには「情報支援」は不可欠だ。今後は「情報支援」の重要性について、もう少し議論が進んでほしいと思う。
プロフィル
いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)など著書多数。近著に『世界で一番のクリスマス』(文藝春秋)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)がある。