『現代を見つめて』(22) 平和への願いをつないで 文・石井光太(作家)

平和への願いをつないで

「ダークツーリズム」という言葉がある。戦争の跡地など、人類の負の遺産を巡る観光のことだ。

日本で最も有名なのは、「原爆ドーム」だろう。一九四五年八月六日、ほぼ真上で原爆が炸裂(さくれつ)し、爆風と熱線で外壁だけがかろうじて残った建物だ。一九九二年にユネスコの世界遺産となっている。

隣接する平和記念資料館の来館者数は年間一四〇万人以上。原爆ドームの見学者は、それをはるかに上回る。

負の遺産の多くは、取り壊されることが多い。七年前に起きた東日本大震災でも、遺物はほとんど保存されなかった。市民感情、維持経費、安全面など、課題は山積なのだ。

原爆ドームも同じだった。原爆投下以来、市民の間では二十年以上も取り壊すか、保存するかで議論され続けてきた。

市を保存へと動かしたのは、子供たちの強い意志だった。

一九五五年、二歳の時に被爆した佐々木禎子さんという十二歳の少女が原爆症で亡くなった。これを機に、広島の少年少女たちが「広島折鶴の会」を結成して、病院の慰問や福祉活動を行っていた。

それから五年後、今度は一歳の時に被爆した楮山ヒロ子さんという十六歳の少女が急性白血病で死去する。彼女の日記には次のように記されていた。

<あの痛々しい産業奨励館(原爆ドーム)だけが、いつまでも、恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろう>

彼女は命の終わりを予期して、原爆ドームに平和への願いを託したのだ。

それを知った広島折鶴の会の少年少女たちが、原爆ドームの保存を求める署名運動をはじめた。戦後十五年が経っても自分たちと同じ年齢の子供たちが原爆症で死んでいることを訴え、原爆ドームを保存して人類への戒めとしようと訴えたのである。これによって、市民は「保存」にまとまり、マスコミや国民を動かし、全国から多額の募金を集めて保存を成し遂げたのである。

ダークツーリズムという言葉によって、負の遺産に注目が集まるのは素晴らしいことだ。ただ、それらが誰のどのような思いによって現存することになったのかにも注目してほしいと思う。

そこに、戦争によって傷ついた子供たちの平和を願う真っすぐな思いがあったことを大勢の人に知ってもらいたい。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)など著書多数。近著に『世界で一番のクリスマス』(文藝春秋)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)がある。