利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(11) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
公共的スピリチュアリティとは?
この問題を克服して、公共的な世界を精神的に向上させるには、特定の宗教を超えた宗教性や精神性を多くの人々が尊重することが必要だ。私的な信仰ではなく、多くの人々に関係する公共的なものだから、それは「公共的スピリチュアリティ」と言うことができる。
スピリチュアリティという言葉は、霊性とも精神性とも訳すことができよう。霊性と言えば、神仏のように目に見える世界を超えた超越的実在を念頭に置いていることが多いのに対して、精神性という表現は、人間の主観的な思いや考えについて用いるから、必ずしもそのような実在を前提にしない。
日本人の多くは初詣に神社仏閣に行って神仏の前で手を合わせて祈る。神仏を実在する存在と考えていれば、これは宗教的行為であり、そこには神道や仏教という特定宗教を超えた公共的霊性が現れている。
もっとも、そのような超越的実在を信じていなくとも、参拝して祈る人は少なくないだろう。その際には、自分や家族、さらには人々の幸福を願い、そのために善い日々を過ごそうという気持ちになることが多いはずだ。中には、悪い行為を頭に置いて祈る人もいるかもしれないが、少数派だろう。お賽銭(さいせん)をあげたりして神仏の加護を祈るという形を取るからには、清々(すがすが)しい気持ちになって倫理的・道徳的にも善い生活を送ろうと思うのが、常識的な発想である。このような行為には、公共的霊性とはいえなくとも、少なくとも公共的精神性が現れているのだ。
だから神社仏閣に行って手を合わせる人々は、何らかの意味における公共的スピリチュアリティを感じたり、発揮したりしていると言えるのである。