立正佼成会 庭野日鑛会長 5月の法話から

5月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)
やる“羽目”になったことを淡々と
心臓は、片時も休むことなく動き続け、私たちの体内に血液を送っていますが、自分がなぜそのように働いているのかは知りません。ただ、遺伝子の通りに淡々と働いているだけです。他の臓器も同じです。なぜこんなことをしているのか、などと問う臓器は一つもありません。ただ、私の体を生かすために、自分に与えられた遺伝子の通りに働いています。その臓器のどれか一つでも欠ければ、体は正常に動かなくなります。全ての臓器が働いてはじめて、私の体が成り立つのです。つまり、どれが重要で、どれが重要でないかということがなく、全てが等しく、重要な存在と言えます。宇宙は、人間の体を通して、宇宙の仕組みを見せてくれているのです。
翻って、私たちの人生を考えてみます。よく、私の天命や使命は何か、と気にする人がいますが、そのようなことを考える必要はありません。人生の中で、やる“羽目”になったことを、誠実に淡々とやっていけば、自然とその方向性が見えてくるでしょう。世の中に、価値のない人など一人もいません。全ての人が必要だからこそ、生まれてきているのです。あなたにやってほしいと頼まれたことは、どんなことでも喜ばれること。頼まれごとをやって喜ばれた瞬間に、私の存在は宇宙に光り輝きます、と、このように教えられています。
(5月1日)
「型」によって「道」に近づく
私たちは毎日のようにご供養、ご法の習学といろいろさせて頂いておりますけれども、一つの佼成会員の修行の「型(かた)」というものがあると言ってもいいと思います。この型は、とても大切であります。型とは、ある意味では、慈悲心の形態化したものと言えるでしょう。型に従っていくと、誰でもある程度のことができます。古来、剣道、柔道、茶道でも、いやしくも「道(どう)」と名のつくものは全て型から入るのですからね。
では、型から入ると、何故(なにゆえ)、道に近づけるかというと、結局、それによって「我(が)」が否定される具体的な方法だからです。私たちは毎日、型通り、朝ご供養をいたしますけれども、そうした型が、信仰者としての型となり、しっかりとご供養することによって、自らの心を反省して、人にいろいろなことをお伝えできる。本当に型というものは、とても大事だとしみじみと感じるわけであります。
(5月1日)





