「発達障害啓発週間」特集 誤解や偏見をなくし、共に生きる社会へ(2)下
それぞれの個性を認め合って、生かし合って 須田安希子・本会元教会長に聞く
発達障害についてしっかり学ばなければならないと感じたのは、教会長を務めていた今から4年ほど前のことになります。発達障害のある会員さんとそのご家族との出会いがきっかけでした。
その方は、人とのコミュニケーションが苦手で、心が苦しくなると家を飛び出し、万引きや放火をするなど、さまざまな問題行動を起こしていました。相談を受けた時、最初は、性格や生活環境に原因があるのではないかと思いましたが、触れ合いを重ねるうち、〈他に原因があるのではないか〉と感じ、受診を勧め、そこで発達障害だと分かったのでした。問題行動は、自身の性格や生活環境などが原因ではなかったのです。
この時、発達障害について詳しく知らなければ相手を誤って捉えてしまい、その人を傷つけてしまうとの思いから、学ぶようになりました。同時に、障害の特徴や触れ合い方など学んだことは、教会の皆さんにお伝えするように心がけました。
少しずつですが、皆で発達障害への理解が進み始めた頃、青少年育成に携わっていたAさんが、自身が発達障害であることを告白してくれました。
Aさんは小学生の時に、ある科目の勉強ができず、受診したところ、発達障害の一つである「学習障害(LD)」との診断を受けたそうです。幼い時から周囲にからかわれることが多く、成人後に一度結婚したものの、障害への無理解から離婚させられるといった、つらい体験もされていました。苦労が絶えなかったため、それまで発達障害であることを言えなかったそうです。
ある時、Aさんの手先の器用さに目が留まり、教会道場の玄関ホールの壁に、飾り付けをお願いしました。すると、色紙や布を使い、皆が驚くほど素晴らしい飾り付けをしてくださいました。以来、季節ごとの装飾はAさんが担ってくれました。
「発達障害の方は、それによってできないことがある一方、その人特有の大きな可能性を持っている」「全能の人は一人もいない。誰もが秀でている能力と足りない部分を併せ持っている。だから支え合うのが大事」。教会全体でそうした理解が深まり、またAさん自身が得意分野で力を発揮して“居場所”ができたことで、Aさんはその後、自ら発達障害であることを打ち明けられました。
後日、Aさんは私に、「教会長さんの日頃の話を聞いて、私が特殊なのではなく、誰にでも得意、不得意があると分かったことで安心感と自信を持つことができ、自然と打ち明けることができました。隠さないで生きていける場所ができたことで、人生が変わりました」と話してくださいました。その言葉を聞いて、本当にうれしかったですね。
発達障害について学び、多くの出会いを頂く中で、私の脳裏には何度も、法華経にある「三草二木の譬(たと)え」が思い浮かびました。その譬えには、世界には種類や大きさが違うさまざまな草木があるけれど、雨は平等に降り注ぎ、それぞれの性質に応じてふさわしい成長を遂げ、思い思いの美しい花を咲かせて実を結ぶ様子が描かれています。つまり、大きさや種類に優劣はなく、他と比較せずに自らの特長を生かして輝く大切さを教えているのです。
人間の目から見れば、人には能力に差があるように映るかもしれませんが、この譬えのように、私たちが神仏から授かった能力の合計(雨)は、皆平等であると私は信じています。一人ひとりの性質にふさわしく成長できる環境をつくることで、個性や持ち味が発揮され、“その人らしさ”が生かされていく――これこそ調和の世界であり、互いを理解することから調和は生まれてくるのだと実感しています。
発達障害について学ぶ中で、無理解、誤解、さらに偏見がどれほど人を傷つけるかを改めて知りました。人を傷つけず、支え合って共に生きるために、まずは知ること、それがとても大事です。