【生物学者・福岡伸一さん】ウイルスを「正しく畏れる」 自然界の一部であると捉えて

新型コロナウイルスの感染が拡大している。「ウイルスは多くの動物にとって病原性がある一方、他の生物に感染して増殖するサイクルを回す “生命体” と捉えると、また違う世界が見えてくる」と言う。生物の起源と進化に詳しい、生物学者の福岡伸一・青山学院大学教授に「ウィズコロナの時代」に求められる生命観について聞いた。

撲滅・根絶を考えるより、目指すべきは共生・共存

――生物学者として、コロナ禍をどのように受けとめていますか

世界中に大混乱をもたらした新型コロナウイルスの感染拡大は、生物学者の私にも全く予想できなかったことで非常に驚いています。

過去にSARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)が流行したことがありましたが、これらは致死率の高い強毒性のウイルスだったため、感染者はすぐに発症し、移動することもできません。ですから、感染はそれほど広がりませんでした。

ところが、今回の場合、無症状の人が大半です。気づかれずに人から人へと感染させてしまいます。感染者を早期に見つけ出すことが極めて困難で、その結果、症状のない人たちによる移動が感染を広げることになったのです。交通網が発達し、グローバル化が進んだこともパンデミック(世界的大流行)につながりました。

――ウイルスと人間の関係性はどういうものですか

ウイルスとは、電子顕微鏡でしか見ることのできない極小の粒子です。また、生物の細胞や、細菌に比べ、非常に単純な構造をしています。単純な構造ゆえに、ウイルスは生命の起源である38億年前から存在していたと思われがちですが、そうではありません。生物の進化の過程を経て高等生物が登場しますが、その後に現れてきた、わりと新しい生命体なのです。

ウイルスは元々、生物の遺伝子の一部で、それが細胞から飛び出した断片です。その断片であるウイルスは宿主(しゅくしゅ)から宿主へと乗り移って、自然界を循環しています。その中のごくわずかなものが宿主に病気をもたらしたり、悪さをもたらしたりするわけですが、大多数のウイルスは何もせず、宿主にも気づかれないまま存在し、あるいは通り過ぎています。言うなれば、ウイルスは自然の一部であり、私たちの体の一部でもあります。

では、なぜウイルスが存在するのでしょうか――それは、生物の進化を加速させてくれるからに他なりません。生物の遺伝情報は親から子へ、子から孫へと垂直方向に伝わります。しかし、ウイルスの存在によって、遺伝子の一部の情報を水平方向に、あるいは種を超えて伝達することができるのです。ウイルスは生物が進化する上で必要不可欠な存在です。ですから、感染症は大きな問題ですが、撲滅や根絶を考えるよりも、ウイルスとの「共生」「共存」を目指す方が望ましいと思います。

――「共生」「共存」を目指す上で大事になってくることは?

「正しく畏(おそ)れる」ということに尽きます。畏れるとは、自然に対する畏敬という意味での「畏」ですね。英語では、「センス・オブ・ワンダー」という言葉になります。これは、アメリカの生物学者であるレイチェル・カーソンが最後に著した書籍のタイトルです。

彼女は、自然の精妙さ、美しさ、その成り立ちの不思議さというものに対して、尊敬や畏敬を抱くと記しています。それが自然観や生命観、あるいは生命哲学の基礎になるべきだというのです。ですから、新型コロナウイルスも自然の一部である以上、「正しく畏れる」ことが必要なわけです。

ただ、「新型」という名称や未知なるウイルスに対する恐怖、さらには、感染の広がるペースがあまりにも速いことから、私たちは、感染者数の推移や感染ルートといった情報にいささか恐れ過ぎていないかと危惧しています。

もちろん、できるだけウイルスに感染しないようにする、あるいは自分が感染していたら、これを広めない努力は必要です。マスクをする、手洗いやうがいを徹底する、咳(せき)エチケットを守る、身体的な距離を保つといった基本的なことを心がけるのです。

その上で、ウイルスに対する最大の防御対策は何かと言えば、自分の体を信じることではないでしょうか。私たちの体は精妙にできていて、免疫システムという防御機能があり、大半のウイルスはこれによって撃退できるからです。

ウイルスなどの病原体が体内に入ってくると、最初は「自然免疫」が働きます。外部から侵入するウイルスを受け入れつつも、あまりに悪さをするものに対しては、これを排除する力が働くのです。病原体が自然免疫の防御を突破すると、今度は「獲得免疫」が働きます。これはリンパ球が強く働く免疫機能で、以前侵入してきた病原体を記憶していて、再びその病原体に出合うと抗体をつくり、病原体を追い払おうとします。すなわち、私たちの体には、ワクチンと同じ効果を持つ働きが本来備わっているのです。

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